【相撲】「仕事がない、何もできない、学もない」 元力士が引退後に直面する“セカンドキャリア”問題 「社会を舐めて見下していた」

元力士が引退後、社会での難しさを感じるのは理解できますね。ただ、彼らの力士としての経験や精神力を活かせる場がもっと増えればいいのにと思います。

1 冬月記者 ★ :2024/02/17(土) 15:31:06.64 ID:uL//QTZR9

「仕事がない、何もできない、学もない」元力士が引退後に直面する“セカンドキャリア”問題 次なる“土俵”は『介護職』から『お笑い芸人』『力士専門芸能プロ』まで…多様化する選択肢とそれぞれの挑戦を追う

若くして引退する力士の“セカンドキャリア”を考える

 日本の国技とされる『相撲』。力士の多くは、30歳前後で引退します。そんな彼らを待ち受けるのは、“仕事がない”という現実です。

 しかし、困難を乗り越え、強靭な体と精神力で第二の人生を切り開く元力士たちも。クリーニング店や介護職から、お笑い芸人、力士専門の芸能プロダクションまで…多様化する引退力士たちのセカンドキャリアと、それぞれの思いを追いました。

「社会を舐めて見下していた」 長続きしない仕事…助けてくれた“家業”の存在
家業を継いだ元力士・宮崎大介さん

 宮崎大介さん(46)は、「戎浪」という四股名で相撲を取っていた元力士。現在は、父親が営むクリーニング店で働いています。

(宮崎大介さん)
「アイロンがけは、一日50~60枚ぐらいと違います?暑いです!」

 朝7時には店に顔を出し、アイロンがけに始まって、午後は配達。遅いときには、夜9時まで働きづめです。

配達途中に食べる愛妻弁当

 奥さん手作りのお弁当も、配達途中の車の中で取ります。

Q.意外に小食ですね?
(宮崎さん)
「これでも多いほうです。食べられないようになりました。今で、85~87kgぐらい。現役のときは、最高で150kgぐらいありました。トレーニングしたわけではないけど、自然に痩せました」

“相撲人気”が野球少年の心を動かした

 もともと、野球少年だった宮崎さん。相撲に興味を持ったのは…。

(宮崎さん)
「ちょうど元若乃花関で、相撲人気があったじゃないですか。体力的には自信があったので、じゃあやってみようかなと」

親からの反対押し切り、相撲の世界へ

 中学を卒業すると同時に、相撲の世界へ。親の反対を押し切っての決断でした。

(宮崎さんの母・節子さん)
「体が壊れる世界だし、相撲部屋に入ったら、自分の子どもであっても子どもでなくなるでしょ。息子が入ってくるとき、咳払いするんです。それでわかる、息子が通路にいるというのが。胸がドキドキするから見ることすらできなくて、あれがツラかったです」

23歳、相撲界を出て感じたギャップ

 宮崎さんは9年間土俵に立ち続けましたが、ケガも多く、23歳のとき、骨折を機に引退を決意しました。

(宮崎さん)
「とりあえず、やめることが頭にあって、やめてから何をしようかというのは、全く頭になかったです」

Q.社会に出て、ギャップは感じましたか?
(宮崎さん)
「そりゃあ感じますよ。相撲界の常識は、世間の非常識ですから。世間では23~24歳はまだ若造ですけど、相撲界では結構“兄弟子(あにでし)”なんです。洗い物やちゃんこの準備は下の子がやってくれるから、自分らみたいな兄弟子は、ほぼ何もしない。それで楽を覚えているから、社会を舐めていたというか、見下していたというか…」

 引退後、配送などいくつかの仕事をしましたが、いずれも長続きせず、母親の声掛けで家業を継ぐことにしました。

(宮崎さん)
「それを考えたら、自営業の息子で良かったなと思います。俺からしたら、こんな最強な親父おらんなって。親もええ年やから、継げたら継いで、長続きすれば良いなとは思っています」

続きはリンク先
https://news.yahoo.co.jp/articles/10a39850a81e0404ab274ec7045e2f649f2d3623?page=1

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Source: 芸能野次馬ヤロウ

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