俳優・タレントの黒柳徹子が24日、東京・自由が丘(旧称:自由ヶ丘)の「トモエ学園」の跡地を訪れ、「トモエ学園記念碑除幕式」に出席した。あわせて、アニメーション映画『窓ぎわのトットちゃん』(12月8日公開)で描かれるトモエ学園の全体俯瞰図の美術ボードと場面写真10点が解禁となった。
トモエ学園とは、黒柳が小学生の頃に通っていた学校。恩師の小林先生や泰明ちゃんをはじめ、多くの友人たちとの出会いや、独特な教育方針のもと、自由で豊かな学びを得たことが黒柳の人生観に大きな影響を与えた。戦争により学校は焼失し、その跡地で営業していたピーコックストア自由が丘店に記念碑が残されていたが、街の再開発に伴い一時的に移設されていた。そして、ピーコックストア自由が丘の跡地に建てられた新たな商業施設「JIYUGAOKA de aone」のオープンに伴い、記念碑もリニューアルされて同地に再び設置されることになった。
黒柳は新たな記念碑を前に高揚感を隠せない様子で、司会者の合図とともに黒柳が「皆さん、お願い致します!」と張り切って記念碑を覆っていた布を取り除いた。新たな記念碑を目にした黒柳は「わぁー!」と笑顔を輝かせ、「何十年も前にトモエ学園に通っていました。小林先生はこの場所に、木がいっぱいあって、プールもあって、電車の教室もあって、子どもたちの夢がつまったような理想的な学校を作ってくれました。ここに改めて石碑を建ててくださった皆さんに本当に感謝致します。ありがとうございました」と感謝を述べていた。
――新しい記念碑を除幕してみての感想
【黒柳】何十年も前にトモエ学園に通っていました。小林先生はこの場所に、木がいっぱいあって、プールもあって、電車の教室もあって、子どもたちの夢がつまったような理想的な学校を作ってくれました。非常に残念なことは戦争があって私は疎開せねばならなくなって、トモエ学園も焼けてしまったことです。小林先生は学園が燃えているのを(記念碑前にある道路を指さして)あの道路から見ながら、息子さんの巴さんに「今度はどんな学校を作ろうか」と話していたという記録があって、先生は本当にすごいなと思いました。その頃からずいぶんと時間は経っていますが、ここに改めて石碑を建ててくださった皆さんに本当に感謝致します。ありがとうございました。
【黒柳】映画を観て懐かしいと思いましたが、今日この場所に立ってみて、トモエ学園があったんだな、約80年前に毎日ここに通っていたんだなと思うと、より懐かしい気持ちになりました。
――トモエ学園の存在とは
【黒柳】私の人生を作ってくれた場所。この学校に通えていなければ、私は今のようにはなっていなかったので、本当にこの学校があって良かったなと思います。
【黒柳】静岡県の土肥(とい)に誰かの別荘があって、小林先生やみんなと行くことになって。自由が丘の駅からみんで手をつないで電車で行きました。船にも乗るんですが、興奮した男の子が「おっとっと!」とふざけていたら船酔いをしちゃって、中々別荘に行けなくなってしまったりして(笑)。海と温泉が並んでいて景色も良い本当に素敵な場所で、小林先生は私たちが喜ぶことをたくさん考えて、いろいろな場所に連れていってくれました。
あと、ここからすぐのところにある九品仏(くほんぶつ)での思い出もたくさんあります。午前中に授業が終わった日はみんなで九品仏にお散歩に行って、道中では先生が教育的なことや九品仏の歴史の話などたくさんのことを教えてくれました。あんなにうれしかったことはなかったし、私の人生の中で一番幸せだったのは、学校に通っていた頃だと思います。他の時が悲しいわけではないですよ(笑)。
――小林先生の存在
【黒柳】「きみは本当はいい子なんだよ」と1日に何回も言ってくださって、その度に私は「はい!いい子です!」と返していましたが、大人になって考えてみたら「本当は」とついているんですよね(笑)。もしかしたら他の方からは違った印象があったのかもしれませんが、小林先生はいつもそう言ってくださって。とってもありがたかったです。すごく頭のいい子もいれば、小児麻痺の子や身長が伸びなかった子もいましたが、みんな区別をせずに本当に気にしていなくて、何があっても結束が強い友達ばかりでした。
――当時と現代の風景の違い
【黒柳】空の色は同じですね。今日の空は虹色で私たちが遊んでいた時と同じ。当時は17時になると追い出しのベルが鳴るんです。そのベルが鳴ると帰らなければならないので、みんな帰りたくないからベルが鳴るまでずっと遊んでいました。今日はいい空でそのことを思い出します。
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Source: 芸能野次馬ヤロウ