戦争に利用された五輪選手「決死隊で突撃死」

戦争に利用された。

NO.9752030 2021/08/15 17:33

戦争に利用された五輪選手「決死隊で突撃死」
戦争に利用された五輪選手「決死隊で突撃死」
 終戦から15日で76年です。戦時中はたくさんのオリンピック選手が戦場に駆り出されました。その死は華々しく伝えられ、戦意高揚のために使われていました。

 8月、戦争の記憶を語り継ぐための展示会が大阪で開かれました。

 その一角に、一足の革のスパイクがありました。持ち主は、慶応大学競走部の鈴木聞多選手です。1936年のベルリンオリンピックに出場した陸上短距離界のホープでした。鈴木選手は、1939年に中国で戦死しました。

 埼玉県川島町に、鈴木選手の墓があります。墓石にはこう刻まれています。「皇国青年ノ士気ヲ昂揚ス」。

 鈴木選手の親族・鈴木隆之さん:「もともとオリンピック選手ということで、ほかの兵士たちに気力を与えるということでほかの兵隊に士気をあげるようなことも書いてある」

 鈴木選手の死は、国民にこう伝えられました。

 「陸上の鈴木選手 壮烈な戦死」
 「決死隊の先頭 身に数弾・折れた軍刀杖に突撃」

 軍は、鈴木選手の死すらも利用していたのです。

 鈴木選手の親族・鈴木隆之さん:「聞多がベルリンオリンピックで使用しています。若干縮んでいると思いますよ」「(Q.日の丸がついてるんですね)そうですね、日本代表ですので、オリンピックは誰でも出られる競技でないので昔であれ現在であれ栄光なことで」

 大切なユニフォームは鈴木選手が生まれ育った家で80年以上もの間、保管されていました。

 鈴木選手の親族・鈴木隆之さん:「うんと駆けることが好きで、なによりも好きだったということで」「この集まりの写真には写っていないよ、なんで?と、練習に行っ..

【日時】2021年08月15日 16:30
【ソース】テレ朝news

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Source: 芸能野次馬ヤロウ

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