公開後に、さまざまな考察記事が出ていますが、圧倒的な仮想世界の壮大かつ緻密(ちみつ)な描写に注目が集まっているようです。内容について厳しい意見もあるようですが、作品は批評されるもので、批判はつきもの。批判自体が健全の証(あかし)ともいえます。
その中で公開前から気になっていたことがあります。中村さんの主演声優起用の発表時からみかけた、メインで本職の声優を起用しないことへの“拒否反応”です。
作品を鑑賞して感じたのは、「歌姫」の説得力を出すために中村さん、力のあるアーティストの起用が必須だったことです。本職だけに迫力満点で、オペラ的な演出も生きていました。
ベルが仮想世界を魅了する歌姫であることにわずかでも疑念や違和感を持たれたら、この作品は成り立ちません。アニメの中には歌パートをアーティスト、キャラクターの声を声優が担当するキャスティングもあるわけですが、やれるものなら一人でやる方がより自然です。その意味で、中村さんの起用は、「正しい」判断だったと思います。
こうした専門職以外の声優を積極的に起用する流れは、ライト層も意識したオリジナルの大作アニメ映画では「当たり前」になってきつつあります。木村拓哉さんと倍賞千恵子さんの「ハウルの動く城」などジブリ映画は有名ですが、俳優の醍醐虎汰朗さんが主人公、森七菜さんがヒロインの声を担当した「天気の子」もそうです。「ジブリの教科書 となりのトトロ」(文藝春秋)には、コピーライターの糸井重里さんと宮崎駿さんの対談があります。
宮崎 映画は実際時間のないところで作りますから、声優さんの器用さに頼っているんです。でもやっぱり、どこか欲求不満みたいになるときがある。存在感のなさみたいなところにね。特に女の子の声なんかみたいな「わたし、かわいいでしょ」みたいな声を出すでしょ。あれがたまらんのですよ。何とかしたいといつも思っている。
中略
ただ、近年の声優人気によって、声優にはアーティストとしてデビューし、ドラマにも演者として起用され、マルチに活躍することも求められるようになっています。声優がアニメ以外で活躍するのに、「でもアニメは何が何でも声優に」と言うのは、ダブル・スタンダード(二重基準)のように思えるのです。
コンテンツ制作側が「アニメに俳優を起用する」「ドラマに声優を起用する」というのも、批判を承知しての決断です。そこに人気を織り込んでの起用もあるでしょうが、コンテンツ制作はビジネスでもあります。「内容が良いからみんなが見てくれる」という“甘えの発想”はありません。そして公開されたコンテンツに対して、ファンが批判するのは自由ですが、演技を見る前からダメ出しをするのはフェアとはいえない気がします。
全文はソースをご覧ください
https://bunshun.jp/articles/-/47528
続きを読む
Source: 芸能トピ++