ヒット曲「まちぶせ」など、アイドル時代から歌唱力に定評のあった歌手石川ひとみ(61)に、再びスポットライトが当たっている。デビュー43年目にして初めて出したライブDVD「わたしの毎日」が5月31日付オリコン週間ミュージックランキングで7位。ちなみに4位はSnow Man、5位はKinki Kids、6位はBTS、8位は東方神起だった。
【写真】5月放送、NHKの音楽番組「歌える!J-POP黄金のヒットパレード決定版!」で歌う石川ひとみ
20代の頃と変わらない清涼感あふれるハイトーンボイスは健在。歌がうまかったアイドルではなく、本格派シンガーとして評価を受けている。
今作のDVDを見ると、石川の変わらない歌声に驚く。多くの歌手が年齢を重ねるごとに音域が狭まり、アレンジを変えたり、キーを変えるなどの必要に迫られる。だが、石川はキーの変更など考えたこともなかったという。
「音域も変わりませんし、曲のキーを変えることも思い付きませんでした。楽曲のキーはそのまま。ずっと同じままで歌い続けていくことしか頭にはありませんでした」。もちろん、ボイトレなど見えない努力の結果なのだろうが、当人はその意識も薄い。「実践で歌うことで自分でコントロールしている感じかな。工夫というか、自主トレをずっと重ねてきたという感じです。もちろん、年齢を重ねることでのどは変わっているのでしょうけど、変わらずに歌いたいという思いが強いのだと思います」。
1978年(昭53)に「右向け右」でデビューも、2年後の80年には松田聖子が、その2年後の82年には小泉今日子、中森明菜がデビューするなど、芸能界はアイドル戦国時代。自身が納得できるヒット曲も出ず、上京する際に両親と約束した「4年」がたった81年に出会ったのが「まちぶせ」だった。
「高校の同級生は大学に進学したので、両親を説得したのが4年間でした。でも、自分が描いた歌手人生とはほど遠くて。次の曲で見切りをつけて、人生を見直そうと決めていました。最後だから、悔いのないようにと、自分が気に入った曲を選ぼうと決めました。それまでは、ディレクターやスタッフの指示に従っていたのですが、『まちぶせ』では、初めて、この曲を歌いたいと直訴しました」。
歌手にとってヒット曲があるのとないとでは大違いだ。日刊スポーツのデータベースを調べても、石川の名前が出てこない年はあっても、『まちぶせ』は歌われ続け、好きな曲に挙げられ、キーワードになっている。「この曲がなければ、今の私はないと思っています。歌う楽しさを思い出させてもらった曲。テレビでも歌わせてもらい、街中でも流れる。私の手を引いて、まだ歌っていいんだよと言ってくれた曲なんです」。
大ヒットには恵まれたものの、今度は病気という試練に見舞われる。87年にB型肝炎を発症し入院する。治療を終えて退院はしたものの、所属していた大手芸能事務所が契約更新することはなかった。「自分の異変が病気だとは思いませんでしたし、仕事のプレッシャーぐらいだと考えていました。解雇されたのは、一生抱える病気だし、元気に歌い続ける保証もないので仕方のないことだと思いました」。
今でこそ病気への認知は広がったが、当時は偏見にさいなまれることも多かった。「血液を介しての感染なので、普通の生活でうつることはありません。悲しいことも、誤解されているなと感じたことは何度もありました」。93年に、仕事面も含めて支えてきたギタリストでプロデューサーの山田直毅氏と結婚。それからは夫婦二人三脚で、マイペースで仕事を続けてきた。
還暦を過ぎて遅ればせながら、インスタなどSNSもスタートし、先日はDVDのネットサイン会も行った。「とても楽しいです。アイドル時代だったらファンレターってところですかね。リアルタイムにファンの皆さんの応援の声が受け止められて、心のやりとりもでき、つながっているところがいいですね」。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c525ce443eeb499020745c47672a7ad170be3e0b
6/7(月) 5:00配信
石川ひとみ まちぶせ
石川ひとみ まちぶせ
荒井由実 – まちぶせ
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Source: 芸能野次馬ヤロウ