【ガッキー】新垣結衣、知られざる“ニコモ時代”をガッキー名付け親の編集者が語る「メイクすると見違えるほど洗練、これは絶対合格だ」

1: なまえないよぉ~ 2021/05/25(火) 16:21:14.13 _USER9
今月19日、星野源(40)との結婚を発表した新垣結衣(32)。彼女の芸能生活は意外に長く、2001年に小中学生向けファッション雑誌「ニコラ」(新潮社)のモデルオーディションに合格したことに始まる。“ガッキー”というあだ名の名づけ親であり、“ニコモ時代”の活躍を間近で見守ってきた「ニコラ」元編集長の山元琢治氏が、当時の秘話を語った。

今から20年前、13歳のガッキーは、沖縄で両親と姉2人と暮らすごく普通の中学生だった。2番目の姉の勧めで、“まさか受かるとは思わずに軽い気持ち”でニコラモデルのオーディションに挑んだという彼女。オーディション時、副編集長だった山元氏は、こう振り返る。

「オーディションに現れた新垣さんは、日によく焼け、髪は耳が見えるほどのベリーショートでした。前髪も短く切りそろえられていて、初めて見た時は“沖縄から来た素朴な女の子”といった印象。他の応募者には垢ぬけている子も多かったので、正直言って特に目立った存在ではありませんでした。ただ、身長は159cmと中学生にしては高く、整った顔立ちをしていたので、モデルの素質はあるかもしれないと一次審査を通過させることにしました」

この年、ニコラのモデルオーディションに応募したのは5530名。書類での一次審査を通過した58名が、東京で二次審査、最終審査と2度の面接に挑むことになる。
「最終審査では、プロがヘアメイクをして行うカメラテストがあります。カメラテストに現れた彼女を見て、その変貌ぶりにとても驚いたことを覚えています。メイクをすると見違えるほど洗練されて、これは絶対合格だということになりました」(同)

4名の合格者と共に、2001年10月号の「ニコラ」で晴れてデビューを果たしたガッキー。ニコラモデルは、レイやミキホなど下の名前を誌面での呼び名として使うことが通例となっていた。ところが、山元氏は彼女に”ガッキー”というあだ名を付けた。

「ユイと呼ぶよりも、新垣さんだから“ガッキー”が良いだろうと思いついたんですよ。中学では“ゆいぼ”や“ゆーいー”と呼ばれていたみたいですが、彼女も新しいあだ名を気に入ってくれましたね。その後、なぜかふざけて“ガキ山”なんてあだ名が出来たこともありましたが、やっぱりみんな“ガッキー”と呼ぶようになりました」(同)
瞬く間に人気ニコモになったガッキーは、オーディションで掲げた「ニコラの表紙を飾りたい」という目標も、デビューからわずか2カ月後の2001年12月号で叶えた。

「翌年にはソロ表紙に抜擢され、北海道やニュージーランドでのロケ撮影にも参加していました。彼女が得意だったのは、“パパカジュアル”と呼ばれるお父さんっぽいファッション。ラフなシャツにダボっとしたジーンズを穿くなど、飾り気の無いスタイルで、私服でもそんなコーディネートが多かったです。あとは市松模様が好きで、市松模様のバッグや筆箱を愛用品としてよく紹介していましたね。SPEEDに憧れて沖縄アクターズスクールのオーディションを受けたこともあったそうで、ダンスや歌に興味があったみたいです。
中略

その後、東京の高校に進学したガッキーは、2005年5月号をもって「ニコラ」を卒業。女優業に本格的に進出し、2006年にはブレイクのきっかけとなる「ポッキー」のCMに出演を果たした。
「ニコラ卒業後も、遠くから活躍を見守ってきました。いつの頃からか分かりませんが、テレビでも沖縄ロケの時と同じ、魅力的な“素ガッキー”の姿が見られるようになりました。飾らないのびのびした姿こそが、彼女らしさだと思います」(同)

最後に、『ガッキーブック』で読者から好きなタイプを問われた、当時16歳のガッキーの答えを紹介したい。
〈個性あって、優しくて、おもしろい人だと、なおいい。身長高い人がいいんだけど、実際好きになるのは低い人が多いです。〉

https://www.dailyshincho.jp/article/2021/05251102/?all=1

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Source: 芸能トピ++

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