コクリコ坂からその後のふたり結婚や結末がやばい

コクリコ坂から (3)

2020年8月21日(金) 放送、日本テレビ系金曜ロードSHOW!「コクリコ坂から」
21時00分~22時54分

ジブリ祭り第2弾「コクリコ坂から」が今夜放送。

何か懐かしさを感じる昭和38年の風景、世相を描画した風景、排気ガスを巻き上げながら走る車、舗装もされてない道、すべてが高度成長期の真っただ中。まだ白黒テレビで、全家庭にテレビが無かった時代(大卒初任給が2万1千円くらいで、給料10ヶ月分に相当する高額商品)に、新幹線の0系がデビューしているので、当時の人たちにとっては激動な日常だった。

50~60年代は、劇中出てくる電話機や洗濯機などのレトロな小物や、文化的背景もなつかしく感じ、10代・20代は、この時代に知識や興味があるか、もしくは想像を膨らませて「こういうものなんだなぁ」という楽しみ方をできる。

とくに、当時の学生運動。
この時代の学生は、今の高校生より大人びているようで、乱闘中に先生の気配を察し、生徒会長が「白い花の咲く頃」を歌いだすと、即座に全員が起立して合わせて合唱しだす。入ってきた先生はニヤリと笑って退出するしかない…というシーンは、団結力や空気を読む粋さがあり、精神的に自立していて今の10代よりも子供じみてなく、大人に見える。

当時のひとの暮らしや考え方を想像しながら観ることができる先品となっているので、今回は戦後の混沌の中でその後どうなったのか、結末や5chの感想などまとめてみた。

■目次

「コクリコ坂から」あらすじ

昭和38年当時の日本

コクリコ坂からのその後

コクリコ坂からのその後

「コクリコ坂から」あらすじ

コクリコ坂から (1)

あらすじ 昭和38年(1963年)、乗った船が遭難し、行方不明となった船乗りの父と、仕事のためにアメリカに渡ったカメラマンの母を持つ小松崎海は、留守中、小松崎家を懸命に切り盛りしていた。

そのころ、海たちが通う港南学園では、新聞部部長の風間俊と生徒会長の水沼史郎が起こす騒動によって、生徒と教師が翻弄されていた。突如として新聞部によって発表される「ミスター・ミス港南」、物理法則をめぐる風間と水沼の賭け、制服廃止運動をめぐる風間と水沼の対立…。

こうした一連の騒動を海は冷ややかに見つめていたが、制服廃止運動の敗北の責任を風間が一身に負わされるのを見て、いつしか海は風間を擁護する声を上げるようになる。風間もまたひたむきな海にひかれ、2人は交際を始める。


しかし、ある日、水沼は風間に海と交際しないよう忠告する。

水沼が海の母・小松崎虹江の仕事を手伝った際、偶然、海と風間の父親が同一人物であり、2人が異母兄妹であることを知ってしまったのである。水沼からそのことを聞かされた風間は海を傷つけないよう、父親のことを隠して海に別れを告げるが、それでも海のショックは大きく、やけになって不良の広瀬真と交際を始める。

広瀬の本性を知る風間は海を放っておけず、広瀬の毒牙にかかりそうになっている海を助けるが、父親のことは話せなかった。 広瀬の魔の手から助けられた帰り道、海は偶然、祖父の小松崎島太郎から海と風間の父親が同一人物だと聞かされ、翌日、風間にことの真偽を確かめる。

その際の海と風間のやりとりが広瀬の女友達に聞かれてしまったことで、海と風間が異母兄妹であるという噂が学校内で広まってしまい、海は精神的に追い詰められる。 海はつらい現実から逃避するかのように旅支度を始め、娘の様子を見かねた虹江はことの真相を海に話し始めた。

参照wiki

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昭和38年当時の日本


焼け野原から二十年での開催した1964年の東京オリンピック。

日本は、嘉納治五郎の尽力もあって、1940年に東京オリンピック開催権を勝ち取った。しかし、戦争の激化で1940年東京大会と1944年のロンドン大会は中止となってしまう。

そして1945年8月。
アメリカ軍からの原爆投下で、日本の主要都市は焦土と化した。しかし、それからたった19年後の1964年10月、世界的な大イベントである夏季オリンピックを開催し、成功させた。それも欧米圏以外では初の開催国となった。

東京オリンピックにおける日本選手団の活躍も誇れるものだと思うが、東京オリンピックは、それに合わせて実用化された世界最速の高速鉄道であった新幹線とともに、戦後日本の民主国家・経済大国・技術立国への変貌を世界に知らしめた象徴的なものだった。

また、オリンピック開催と同時に新幹線が通り、高速道路が整備され、当時では他に類を見ない東京タワーも出来た。復興し、先進国に負けない技術と機能性を世界に示しただけでなく、オリンピックに向けたインフラ整備は高度経済成長の礎となった。

また、スポーツ振興が進み国民の生活と健康を向上し、敗戦を乗り越えてきた当時の日本人が、東京オリンピックを誇らしく思ったのは当然のこと。

戦後という言葉が意味するものをあえて問いたいとは思わないが、当時の感慨は二度と感じる事がない、それほどその時まで日本が置かれていた状況が理不尽なものだった。

その理不尽な現実をもしかしたら解消できるかもしれない第一歩、その感激の背後に日本が戦後歩んできた悲しい現実を昇華できるかもしれない国際的イベントがあの東京オリンピックであって、これほどのイベントはもう二度と起きることはないのかもしれない。

コクリコ坂からは、そんな日本が劇的な変化と遂げる直前の人たちを描いた作品となっている。

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コクリコ坂からのその後

コクリコ坂から (1)

コクリコ坂の原作漫画の結末はどうなったのか、気になるところ。
著者・高橋千鶴 「コクリコ坂から」 (角川文庫) の内容を簡単にまとめると、主人公・海(メル)と一つ上の先輩風間の恋愛物語になっている。

風間は新聞部部長で新聞等、哲学部など様々な分がある建物は古く、掃除を全くしてないのですごく汚い。それで、「立て直し」の話がでているが、伝統を重んじる生徒が猛反対。もちろん風間も反対派。

海は「古いなら掃除しよう」ということで、海の友達含む女子たちも大勢手を貸してくれて、大掃除の始まり。海と風間は映画でなかなかいい雰囲気になっていく。海の家族の北斗が仕事のため遠くに行くことになり、その送別会に海の友達も呼ばれ、風間も来きたので、そこで海は風間に家の中を案内。

今は亡き父とその友人二人がうつる写真を見せると、風間は驚いた表情を見せる。この日から、風間の海に対する態度がぎくしゃくしていく。

続く大掃除でも、顔を合わせるも海を避けてる感じ。
その原因は、海の家にいく前の放課後にあった。帰宅した風間が家の棚をあけると、なんと海が見せた写真と同じものを見つける。風間は父親と船に乗ったとき、写真を見せて自分の父親について聞くと、風間は「血のつながった兄妹」と知る。

その後、二人の関係はぎくしゃくが続くも大掃除は無事終了。
「立て直し」に賛成していた生徒も「これなら立て直さなくていい」と立て直し反対派に。これで大丈夫と思っていた矢先、あわてて生徒会長が走ってきて、「校長が夏休み中に立て直しを決定した」という知らせを聞かされる。


生徒たちは立て直しに反対だが、校長は「もう決まったことだ」の一点張り。

そこで、海、風間、生徒会長は理事長に直談判すべく東京へ。
実際に会ってみると、理事長はとてもいい人で、「ぜひ一度見に来てほしい」という申し出を聞き入れ、「火曜日の午後に見に行く」と言って取りやめを検討してくれることになった。帰る途中、二人きりになった海が家までのバスに乗る直前に「兄妹でも風間さんが好き」と告白、風間も「オレも海が好きだ」と告白する。

数日後の午後、理事長はきれいになった建物を見て、生徒たちとも話をし、「素晴らしい生徒だ」と称し、立て直しはしないことが決定した。

ここで風間の父から電話が来て、「風間の実の父について詳しい人物がいる」と聞くが、その人は仕事で4時には船で行ってしまい、海外なので当分は戻ってこないという。風間は海をつれて、急いで港まで行く途中、知り合いの手も借りてどうにか間に合い、話を聞くことができた。

その人は写真に写っていた海の父の友人の一人。
3人は親友同士だったそうで、風間の実父は海の父とその友人の真ん中に映っている人物で、船に出て亡くなったこと、風間の母も出産時に亡くなったこと、親戚は原爆などにあっていないこと、それで海の父が引き取ったことを聞かされる。

海の父は風間を自分の子として育てるつもりで、戸籍上の登録も済ませたが、すでに海を身ごもっていた海の母には育てることは難しく、知り合いで子供をほしがっていた人に託したという。

その人が風間の今の父親。
なので、風間と海は兄妹ではない。話してくれた人は「今は亡き親友の娘と息子に会えた」ことを喜び、涙して感謝の意を込めて握手したところでエンディングとなっている。

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コクリコ坂からのその後

コクリコ坂から (4)

コクリコ坂からの原作は、映画と設定が多少異なる。


主人公の海は妹・空、弟・陸の三兄弟の姉という設定。

家はコクリコ坂と呼ばれる坂の上の下宿屋で毎朝、住人や兄弟と父親が遭難した海から家が一目で分かる様にと旗を揚げることから一日が始まる。

母親は仕事で海外生活をしており、祖父母が下宿屋を切り盛りしていた。下宿の住人の若い男性は、海の憧れの人。海が幼少の頃、その男性に「コクリコの由来は坂に咲くひなげしの花」という仏語と教わる。その時「海は仏語で何ていうの?」「ラ・メール」「じゃ、これから海の事をそう呼んで貰おうかな」という理由から、付いたあだ名が「メル」。


メルは高校で気になる同級生が出来る。

憧れ人である下宿人にひかれつつも、その同級生とは反目しあうも徐々に気になる存在になっていく。メルの憧れの男性は仕事の都合で下宿を出ていく事が決まり、メルはその男性に思い切って告白するも振られてしまう。

振られて落ち込むと思ったが、あまりショックはない。
むしろ、本当に好きなのは同級生と気づくメル。紆余曲折あって、メルはその同級生に告白し、付合う事になるのだが、家に帰ると母親が海外から帰国していた。久しぶりの再会を世転び、次の日、家でパーティーを開く事になり、メルは同級生を招待。母親に紹介すると、同級生を見た母親は驚いた表情を見せる。


後日、学校内でメルと同級生が兄妹との噂が立つ。

友人からその噂を聞いたメルは、「父親が同一人物でメルを同級生が避けるようになった」ことを知る。メルは「ハッキリさせよう」と二人で役場に。戸籍を見ると本当に父親は同一人物だったことを知り、ショックで二人は別れることを決める。

その後、学校で兄妹という噂が瞬く間に広まり、いじめに耐え切れなくなったメルは、部屋で自〇しようとする。

そこに慌てて母親が現れ、真実を語る。
あの同級生の父親は親友の子供で、親友夫妻が亡くなり親戚をたらい回しにされかけたので強引に引き取って養子にしたという。母親と結婚を機に今の養父母へ預け、母親はその同級生を別の家へ預けてしまった負い目があり、中々真実をメルに話せなかったことを告げる。


つまりメルと同級生は兄弟ではなかった。
真実を知ったメルは同級生の所へ向かい、いきなり「大好き!」と言いながら同級生を抱きしめ、物語は終わっている。

原作と映画版「コクリコ坂から」の違いは、真正面から現代と繋がることを最初から拒否していること、海と俊が後ろ指差されず付き合えるようになったのは同じだが、映画的には、海と俊が本当に異母兄妹だったほうが良かった気がする。(もしくは、異母兄妹告白イベント自体が無くて俊の出生を探すなど)

「コクリコ坂から」の映画で不評なのは、最後の海が朝日を浴びながら海を見てるシーンの哀愁?が、音楽と絵だけが醸し出す雰囲気だけで中身の無いものになってしまったかもしれない。

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Source: 独女ちゃんねる

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