【芸能】いま明かされる「ボキャ天」キャブラーのキャッチフレーズ秘話

ボキャブラ天国』(ボキャブラてんごく、英称:VOCABULA)は、1992年10月14日から1999年9月26日までフジテレビ系列局で断続的に放送されていたフジテレビとハウフルス共同製作のお笑いバラエティ番組シリーズである。通称「ボキャブラ」「ボキャ天」。 レギュラー放送ではSD画質で、音声もモノ
105キロバイト (13,212 語) – 2021年2月9日 (火) 06:42

(出典 i.ytimg.com)
昔の番組。

1 朝一から閉店までφ ★ :2021/02/13(土) 17:56:04.52 ID:CAP_USER9.net

いま明かされる「ボキャ天」キャブラーのキャッチフレーズ秘話
放送作家・高橋洋二が明*『ボキャ天』のウラ側!
2021年02月12日NEW

今年の1月、爆笑問題の田中裕二が脳梗塞に罹り、大事には至らなかったが念のためひと月の休養をとることになった。すべてのレギュラー番組ではその間、週替わりで田中の代役を招聘して対応した。私が構成を担当しているTBSラジオ「火曜JUNK爆笑問題カーボーイ」は1月26日の放送でアンジャッシュの児嶋一哉に代役を依頼した。リスナーから児嶋への質問メールが届く。

「『青梅街道の蒼い星』と呼ばれていた『ボキャブラ天国』でのエピソードを教えてください」

「よく覚えてるねえ」と児嶋は、当時若手の自分達はいじられるような特徴がなく、このキャッチフレーズも所属事務所が青梅街道沿いにあるので適当に付けられた、と答えた。そして当時は収録スタジオの楽屋の大部屋は、元気のいい芸人たちに占拠されていて、アンジャッシュのようなおとなしい若手はもっぱら廊下にいた、とも。

太田もそうだったそうだったと受け、その頃の本番収録での大笑いしたエピソードを話す。アンジャッシュともう1組のコンビが出番でスタジオのセンターに立っている様子を見てタモリが思わず「お前らは『先着4名』か」とツッこんだのだ。

そのくらいこの4人は番組を盛り上げようという芸人としての覇気が無かったということなのだが、おそろしいことにこのもうひと組みのコンビは誰だったかというと海砂利水魚(今のくりぃむしちゅー)なのだ。

今の若い人からは想像できないかも知れないが、当時20代半ばの東京の芸人はネタでは派手に立ちまわるが、スタジオトークでは皆、斜に構えていて静かだった。

前にも書いたがヒロミはこの状況に、番組を越えて東京の若手芸人全体に危機感を抱き「お前たちはもっとかわいくなきゃダメだ」と檄をとばしたのだった。こういったヒロミの尽力もあり「キャブラー」たちはスタジオでの「やるべきこと」を体得してゆくのだった。

いちリスナーのメールひとつからでも「ボキャ天」の話は芸人の間でいまだに盛り上がる。構成者だった私もとても嬉しい。

「青梅街道の蒼い星」などのキャッチフレーズは我々スタッフが会議でああだこうだと捻り出すのだが、私はこの作業が好きだった。ちなみに芸人本人が考えて付けたのは「不発の核弾頭」の爆笑問題のみである。

爆笑問題と同世代、もう30代のBOOMERはそれゆえ「遅れてきたルーキー」、野球のユニフォームを着ていたことも影響しているだろう。毒舌の替え歌を弾き語る金谷ヒデユキは「地獄のスナフキン」、表情もどうも明るくなかったもので。

XーGUNがなぜ「アジアの超特急」なのかは付けた私もわからない。どこか大陸的なものと勢いのある感じでそうしたのか。アリtoキリギリスの「昆虫大戦争」は特撮映画好きのチーフディレクターと私が同時に思いついて即決した。
     ===== 後略 =====
全文は下記URLで
https://friday.kodansha.co.jp/article/162124

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Source: 芸能野次馬ヤロウ

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