【ドラマなのに】「麒麟がくる」でも再燃した架空キャラ問題、大河ドラマの創作はなぜ批判されるのか

1: なまえないよぉ~ 2021/02/08(月) 18:43:51.63 _USER9
「麒麟がくる」ではオリジナルキャラ・駒(門脇麦)が歴史ドラマ好き視聴者の厳しい視線の矢面に立たされた。
駒は戦災孤児で、光秀の父に助けられる。彼女は麒麟という架空の動物が平和な世の中に現れるという伝説を信じていて、
それが光秀の人生に影響を与える。

育ての親のような医者の東庵(堺正章)と旅芸人の伊呂波太夫(尾野真千子)は各々の職業を生かし、
戦国の世をかいくぐり、あちこち出入りし、身分の高い人達とも交流できる万能キャラ。

駒は彼らの人脈を受け継ぐように、秀吉、家康(風間俊介)、商人の今井宗久(陣内孝則)、将軍・足利義昭(滝藤賢一)等々、重要人物と関わっていく。
 東庵は正親町天皇(坂東玉三郎)、伊呂波は関白近衛前久(本郷奏多)と関わり、駒と3人で、光秀と重要人物をつなげる役割をする。
あともうひとり、家康の手下で、庶民のなかに混じって暗躍する菊丸(岡村隆史)がいて、終盤、家康と光秀を繋いだ。

これらオリジナルキャラの働きを「ご都合主義」と指摘する視聴者もいるが、そこはドラマ(フィクション)。
歴史的局面を繋ぐために機能する人物を作ることは大目に見たいところ。

 だがしかし、知ってる武将たちと比べて、知らない架空の人物にはどうも親しみがわかず、応援しにくいと思う人の気持ちもわかる。
やっぱり知ってる人物のほうが応援しやすい。「麒麟がくる」では主人公の光秀とゆかりのある人物として、

三英傑のみならず、斎藤道三(本木雅弘)、朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)、斎藤利三(須賀貴匡)、
のちの細川ガラシャことたま(芦田愛菜)などが出てくると、有名な場面が見られるかなと期待し、身を乗り出して見てしまう。

だが、道三以外は、期待していたほど活躍しない。にもかかわらず、オリジナルキャラの出番が多いと、
それより有名なあの場面を描いてほしいと思ってしまうわけだ。

とはいえ、歴史ドラマ好きの視聴者も、なんでもかんでもオリジナルなものが嫌いなわけではない。
「麒麟がくる」で光秀に多大な影響を与える存在として描かれた松永久秀(吉田鋼太郎)は、
光秀と久秀がこんなに強い絆で繋がっていることは創作にもかかわらず、その友情は視聴者から好意的に受け止められた。

久秀は爆死(これも史実ではないのだが)することで人気の武将。彼の爆死が描かれず残念という声もあったが、
死に方がかっこよかったのでオンエア後は盛り上がった。

また、家康が竹千代時代、人質の身から逃げようとしたとき光秀に助けられ、干し柿をもらう心温まるエピソードもドラマの創作だが、
やはり好意的に受け止められている。

 大河ドラマ「義経」の演出家・黛りんたろうは著書『大河ドラマ「義経」が出来るまで』で
「ドラマと名がつく以上、フィクショナルなイマジネーションが入ることを前提としている。

ドラマの真実は、虚構の上に成り立つ真実であり、そこがドキュメンタリーとは根本的に異なる」と
、歴史ドラマにおける虚構の必要性を説き、例として、大河ドラマ「秀吉」(1996年)で、秀吉と石川五右衛門が幼馴染だったとし、
秀吉と明智光秀が青年期に出会っていた、という設定にした結果、「ドラマとして大きく膨らませることができたし、大いに共感もよんだ」と書いている。

最初は馴染みのない人物でも結局のところ1年間通して見ていると情が湧いてくることもある。
「麒麟がくる」の駒も最終回ではきっと愛情をもって拍手を贈られるのではないだろうか。

https://bunshun.jp/articles/-/43284
https://bunshun.jp/articles/-/43284?page=2

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Source: 芸能トピ++

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