2010年代に“美人すぎる料理研究家”としてテレビ番組、さらにグラビアでも活躍した森崎友紀さん(44)。3児の母となった現在は、メディア出演など表に立つ仕事からは遠ざかっている。「当時は無理をしていた」と、実は性格的に前へ出るタイプではなかったという森崎さんは一体なぜ、芸能界で活動することになったのか。その経緯を聞いた。(全2回の1回目/2回目に続く)
◆◆◆
実は前に出るのが得意なタイプじゃない
――森崎さんがグラビアをやっているときのイベントを以前、何度か取材したことがあるんですが、当時と今ではメイクの感じも雰囲気も違いますね。当時は派手というか自信満々な印象でした。
森崎友紀さん(以下、森崎) あのときは髪も茶色だったし、今見たら恥ずかしいですね。事務所が「顔と名前を一致させないといけない」という方針で、髪型は変えたらダメ、エプロンもこういう感じと決められていました。当時は芸能界のことが何もわからなかったので、言われたことが正しいと思って必死でやっていて。
実は前に出るのが得意なタイプじゃないんですよ。だから当時はすごく頑張っていたと思います。今の方がすごく安定していますね。当時って、ちょっときつい印象とかありました?
以前はしんどかったし、無理していた
――見た目も強気な感じでしたし、『お願い!ランキング』(テレビ朝日系)などの出演されていた番組でも自分が思ったことを包み隠さず言うイメージでした。
森崎 本当ですか。新鮮! 実際はそうじゃないから、イメージって作れるんですね。本当の私は人前で緊張するタイプなんですが、自分とは違う勝ち気な女性に憧れていたので、そう思われたのならちょっと嬉しいです。あの頃はお金をもらって仕事をしているのだから、呼んでくれた人が求めることに応えるのは当たり前だと思っていたので。
ただ私はやっぱり料理が好きで、料理って作る人が主役じゃなくて料理が主役じゃないですか? だから今の私には合っているんですよね。以前はしんどかったですし、無理していたと思います。
小さい頃から食関係の仕事につくことは決めていた
――まず森崎さんがテレビで活躍する料理研究家になるまでを振り返りたいのですが、きっかけはお祖母さまの料理だったそうですね。
森崎 今でもそうなんですが、私はアトピー性皮膚炎で、肌がとても敏感。ハウスダストやスギ、ヒノキの花粉、それにストレスも全部肌に出るんです。子どもの頃に習っていたバレエでは、アトピーでかゆくて、つい掻いてしまい、レオタードにまで膿がつくくらいで。
そのかゆみが、祖母の作る料理をきちんと食べることで治ったんです。祖母が何気なく作る料理は、タンパク質があって、野菜もきっちり使って炭水化物も摂れる、わかりやすく言うと旅館の朝食のようなバランスの良い食事。彼女はそれを毎日作っていました。うちは8人家族なので大変だったと思います。
――森崎さんご自身は、いつ頃から料理を始めたんですか。
森崎 小学校1年生くらいからですね。8人家族だからたくさん作っても料理が次の日まで残らず、いろいろな料理にチャレンジできました。家族からも喜ばれるし、すごく料理って楽しいなって。テレビでも料理番組が大好きで、小さい頃から食関係の仕事につくことは決めていました。
いざ進路を決めるときに、母が薬剤師をしていた関係で、管理栄養士という仕事があると知ったんです。ただ美味しい料理ではなく、身体のためになる料理が作りたかった。母に仕事内容を教えてもらい、病院で患者さんのために料理を作りたいと思い、大学も管理栄養士専攻。卒業後、総合病院に就職しました。
管理栄養士の仕事で衝撃を受けた出来事
――病院での仕事は大変だったそうですね。
森崎 大変でしたね。朝3時に起きて、何百人分の食事を手分けして作っていました。それぞれの患者さんの栄養を考えて料理を作るんですが、患者さんに食べてもらわないと意味がない。自分たちが心血を注いで作った料理を患者さんが食べずに捨てているのを見たときに、「これって意味あるのかな」とすごく衝撃を受けて。
患者さんは、なぜ食べなきゃいけないかわかってない。でも管理栄養士は献立を考え、料理を作ることが仕事なので、その人にどうして食べるのが必要か伝えるのが難しい。
どうにか上手く伝える方法はないかなと考えたときに、たまたまテレビに出ている料理研究家の方を見て、メディアに出て伝えることはできないかと考え始めたんです。
でも当時の料理研究家って世襲制が多かったと思うんですよね。親が有名な料理研究家でその子どもとか、家族に有名人がいる方しかいなかったんです。
私はそうじゃないし、どうやったら料理研究家になれるか考えたときに「まずはメディアに出ればいいんじゃないか。そのためには東京に行かないといけない」と思って、劇団に入りました。そこで、劇団仲間が持っていた雑誌に「ウェザーニュース」のキャスターの募集があったんです。
――あまり知られてないですけど、森崎さんの芸能界デビューは「ウェザーニュース」のキャスターだったんですね。今やキャスターがアイドル的な人気となっていますが、大先輩なんですね。
森崎 かなり初期だったと思います。キャスターだったんですが、編集も自分でやるんですよ。撮影が30分ぐらいで、それが終わると編集を2時間ぐらいやってましたね。今から考えるとYouTuberみたいですよね。3か月間、お給料のほかに、家賃を全額補助してもらえるという契約でした。
――3か月の契約が終わるとどうしたんですか。
森崎 その上京をきっかけに、東京で頑張ろうと思って。ツテはないので就職雑誌で管理栄養士の募集を見つけて、面接を受けてという感じでした。そこからつながって雑誌やウェブサイトでいろんな栄養関係の記事を書いたりレシピを紹介したり、ヘルシースイーツを考案して飲食店に卸したりして過ごしていました。
そのときから、料理教室もやってました。自分で公民館みたいな場所を借りて、募集をかけて。その傍らメディアの仕事もやる、みたいな感じですごく忙しかったです。
――その頃の気持ちについて「しがみついてでも東京に残ろうとしていた」と以前話していますね。
森崎 そんなこと言ってたんだ(笑)。覚えてないですけど、自分でも頑張ったなと思いますね。ブランド物とか服とかに執着が全くなくて、就職してからずっとお金を貯めてたので、その貯金を取り崩して頑張ってやってました。
ホリプロに所属し、『お願い!ランキング』とグラビアをやるように
――テレビにはどういうきっかけで出るようになったんですか。
森崎 雑誌で鍋料理の特集があって、レシピを紹介したときにプロフィール写真も撮ってもらったんです。それをたまたま見ていた『はなまるマーケット』(TBS系)の担当の方が声をかけてくれて、出演しました。そこからいろいろな仕事に繋がってという感じです。
集英社からのお話もあり、同時期にホリプロに入ることになったんです。そこで『お願い!ランキング』とグラビアをやらせてもらうようになりました。
――森崎さんが出演した『お願い!ランキング』の人気企画「美食アカデミー」は有名企業の人気食品を試食し、ランキングをつけるというもので、時に審査するプロの料理人の厳しい評価に関係者が泣くこともあったほどでした。森崎さんも厳しい評価を出していましたが、実際、企業から怒られることはなかったんですか。
森崎 番組側からは「正直に、こういう感じで言ってください」と言われていたので、番組の方針に合わせていました。私以外の出演者のみなさんも多分そうしていたと思います。
実際の収録では辛口コメントの10倍くらい褒めているんですけど、オンエアではほとんどカットされていて(笑)。視聴者も褒めているところを見ても面白くなかったんだと思います。
辛口のところを切り取って使われていたこともありましたが、結果的に番組を見て面白いなって思ってもらえていたのなら、仕事は出来ていたという感じですね。
――発言が辛口な分、ネットなどでバッシングも多かった印象です。
森崎 周りからも「大丈夫?」と言われてたんですけど、自分が何を言われているか検索はしなかったです。ブログに嫌なコメントをされたことはあったんですけど「そういう人もいるよな」と、客観的に考えていました。
撮影=佐藤亘/文藝春秋
〈“美人すぎる料理研究家”森崎友紀(44)はなぜテレビから姿を消したのか?「現場に迷惑はかけられない」 「今のほうが断然大変です」〉へ続く
(徳重 龍徳)

続きを読む
Source: 芸能野次馬ヤロウ