【社会】暴走族に教えを説き、余命3週間のお医者さんを救い…“怪談説法”を通して「一念三千の法理」を伝えるYouTube登録者26万人の住職・三木大雲(51)の人生観

三木大雲住職の人生観には深い感銘を受けました。彼が怪談説法を通じて伝える「一念三千の法理」は、暴走族の若者たちだけでなく、私たち一般人にも心に響くものがあります。

お岩さまにあこがれて…古典ネタに取り憑かれた怪談師・牛抱せん夏が語る子どもからお年寄りまで楽しめる“伝統芸能”としての怪談の魅力とは〉から続く

 ああ……雨が降ってきましたね。亡くなられた方は“肉体がなくなった”ことに気づいていませんから、雨宿りをしに室内へ入ってくる。怪談にふさわしい日和ですね。

 私はふだん京都の光照山蓮久寺で住職をしておりまして、今日(2023年7月8日)は岐阜・高山に「怪談説法」をしに参りました。23歳の時、お寺の存続を危ぶんで「若者に仏教を知ってもらおう」と始めたものです。

 次男坊として生まれたので継ぐべきお寺がなく、当時は大きなお寺さんに勤めていました。早朝から夜まで仕事が詰まっておりますから、自由に動けるのは深夜しかありません。それで夜遅く、誰かにお説法できないかと歩き回っておりましたら、公園で暴走族の集会に出くわしたのです。特攻服に「天上天下唯我独尊」と刺繍が入っていたのを見て、「おお!お釈迦さまが生まれて初めて発した言葉じゃないか」と。

「君たちが背負っている言葉の由来なんだけどね……」と声をかけたものの、「うるさい、帰ってくれ」とまるで取り合ってくれない(笑)。どうにか興味を引こうと「じゃあ、怖い話を聴かへんか」と訊ねてみたのです。すると「お坊さんの体験した怖い話なんか、絶対ピカイチやんか!」と食いついてくれた。そこで話したのが“病気の臭い”の話です。

暴走族の少年が明かした「お化けみたいな」生まれ育ち

 私は小さい頃から鼻が敏感でして「あ、この人は数日後に高熱が出るな」というのがすぐにわかる。なんとも名状しがたい臭気なのですが、病気によって濃度や色合いが異なりまして。ある時に本屋に行きましたら、それはもう強い末期がんの臭いがしましてね。臭いのもとである男性に心配して話しかけたら、「声かけてもらって嬉しい」とすごく喜んでくださった。そして「実は私、去年死んでるんです」と、ふっ……、と消えたのです。

 そう暴走族の子に話したら、総長さんがおもむろに「はい、そのお化け、僕です」と言うのです。「ええっ、どういうことや。私より怖い話したらあかんで」と言ったら「いや、違うんです。僕もお化けみたいな人間やから、その気持ち、よくわかるんです」と。両親にも誰にも顧みられず、幼少期から「ただいま」と言っても「おかえり」が返ってきたことがない。でも、バイクで爆走していれば警察が追いかけて来て「危ないぞ」と声を掛けてくれる。そこで初めて「生きているってこういうことや」と実感を得たのだと。

お化けな僕らは、どうしたらいいですか」――その言葉を聴いた時に、ああ、これはもうお説法になっているじゃないかと感じたのです。それからは一緒に本山を掃除して回ったりしましてね。見知らぬおばあさんに「えらいね、このお金でジュースでも飲み」と声をかけてもらったこともありましたけれど、彼らは「ありがと。でもな、ここでお金もらったら徳が消えるからあかんねん」と笑顔で返しておりました。自分の存在意義を、暴走族という自分本位な行動で示すのではなく、人に喜ばれることを通じて認められるようになったのです。

 彼らに限らず、怪談好きな方は、どこかに孤独を抱えておられます。誰しも最後は1人で逝かなくてはいけませんから、その寂しさや恐ろしさを少しでも和らげるために死後の話を求めるのでしょう。実はお釈迦様も「生老病死」、つまり死への恐れがあり、死ぬ前にすべきことは何かを考えられました。その面で怪談と仏教は非常に親和性があるのです。

死後の世界はありますか」余命3週間の医者はか細い声で…

 以前、とあるお医者さんに「人は死んだら無になる。三木さん、在りもしない話を語るもんじゃないですよ」と言われたことがありました。それからずいぶん経って、突然お電話をいただいたのです。か細いお声で「がんになりまして、症状からいって余命はあと3週間ばかりでしょう」とおっしゃる。そして「死後の世界は本当にありますか」……そう訊ねてこられたのです。驚きましたが「私は無にならないと思っています。お経にも、そう書いてあります」とお答えしました。するとどこかホッとしたお声で「そう説き続けてください」と。その2日後、容態が急変して亡くなられたそうです。

 人間はそうそう強い生き物ではありません。だからこそ、死の恐怖に直面した時、怪談がひとつの支えになってくれる。死にゆく人もそこで終わりではない――そう教えてくれるのです。

 ですから私にとって、「怪談は救いや教えをもたらすもの」です。人を傷つけ、苦しめる話は怪談とは呼べません。例えば遺族の方に「事故に遭ったお子さんは成仏できず、地縛霊になっています」と語るのはもってのほかです。とかく刺激を欲する世の中だからこそ、人として踏み越えてはならない境界線を常に意識しなければならない。ただ恐ろしがらせるより、大切なのは、その先にある「どう生きていくか」ですから。

 私の目標は、怪談説法を通して皆さんに「一念三千の法理」をお伝えすることです。人の一念が三千もの世界を動かす。私も大黒さまのお告げで1憶5000万円の宝くじを当て、寺の修繕費に充てることができました。神仏の存在を信じて実直に生きていけば、大抵の物事はハッピーハッピーに回っていく。死んだあと、菩薩さんに「ようやった」と言われるように私も己に負けず精進せねばと思っています。

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書き下ろし文庫『怪談和尚の京都怪奇譚 妖幻の間篇』

コミック『怪談和尚 妖異の声』

(いずれも小社より発売中)

(「週刊文春」編集部 2023年7月20日号)

撮影 MURAKEN

(出典 news.nicovideo.jp)

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Source: 芸能野次馬ヤロウ

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