史郎氏は、興毅氏のデビュー戦を振り返り、「『ファイトマネーデビュー戦1000万円 大型新人!』って載ったけど、当時はジムが現金くれない。(観戦)チケットで持ってこられた。でも売れなかったらただの紙切れ」と必死になって、息子のデビュー戦チケットを手売りしたことを語った。
史郎氏は「ドーンッ!って渡されて、どうすんの?って。だから、みんなに知ってもらわなあかん。だから、ああいう過激なビッグマウスとかそういうことして『なんや、こいつクソ生意気やな』って思われてもいいから、とにかくアピールせい!と興毅とずっと練習しとったんや」と独白。
記者会見の事前練習をした様子も再現した。「オレが記者になるやんか。『興毅さん、次、どないしますのん?』絶対言うてくるから、そのときお前、何言うんや、言うてみいと」と回想。「興毅ってようしゃべれへんかってん。服も全部そう。『これ買いに行って、着ろ』とか。髪形も全部オレが散髪するし」と続けた。
世間では誤解されていたが、史郎氏は『テレビ局はちゃんと撮ってんねん。でも一切使わへん。で、うっとうしくて、『テレビ局早よ帰れ』っていうときあんねん。そういうときはオレが怒るしかないやんか。撮れ高できるから。『オラァ!』って怒ったら、撮れた~って感じになるから『ほな、もう帰って』って」と裏側をさらけた。
大毅氏は「総監督ですから」と表現。聞き手のかまいたちは「プロデューサーだったんですね」と感心していた。
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Source: 芸能野次馬ヤロウ