女優として数多くのドラマや映画に出演してきた中江有里さん(49)と、パリ生まれで昨年林忠彦賞を受賞した気鋭の写真家・初沢亜利さん(49)が、結婚していたことが「文春オンライン」の取材でわかった。
中江さんは初沢さんと同い歳で、1973年生まれの大阪市出身。雑誌「Up To Boy」の美少女コンテスト優勝をきっかけに上京し、1989年に清楚系女優として、芸能界デビューを果たした。
1991年には歌手デビュー、1992年には映画「奇跡の山 さよなら、名犬平治」で失語症の少女という難役を演じ、日本アカデミー賞新人賞を受賞と、順調にアイドル女優の道を歩んでいた。
そして1995~1996年にかけて放送された連続テレビ小説「走らんか!」では、阪神大震災で親友を失った物憂げな高校生のヒロイン役に大抜擢。菅野美穂らとともに青春群像劇を演じ、お茶の間を大いに沸かせた。
その後も順調に女優としてキャリアを積んでいったが、中江有里はその後、女優としては一風変わった道へと進んでいく。
もともと脚本を書きたいという夢もあり、2002年にNHKのラジオドラマ公募に応募したところ、なんと見事入選。さらに2006年には「結婚写真」(NHK出版)で小説家デビューを果たした。これまでに「水の月」(潮出版社)、「万葉と沙羅」(文藝春秋)と作品を発表し続けている。
女優・歌手・作家という三足のわらじを履いているわけだが、出版業界関係者からはすこぶる好評価だ。
「芸能界で若くから揉まれてきたからか…」
「クセのある作家も多いなか、芸能界で若くから揉まれてきたこともあってか、物腰が低くて愛想もいい。業界関係者からは良い評判しか聞いたことがありませんね。そうした性格に加え、根っからの努力家なんでしょう。忙しい仕事のかたわら学業にも打ち込み、10年前には40歳を目前に、通信で法政大学文学部を卒業しています」
中江が文学に打ち込むのは幼い時の両親の離婚や、15歳にして関西から上京した際に読書に支えられた経験があるからだという。
「卒論で選んだテーマは、ハンセン病に罹り、早世した北條民雄。かなり渋くてツウ好みな作家をチョイスしています。最近では小説好きを公言する女優やアイドルも多く、カテゴライズ化されてきていますが、中江さんは別格。年間300冊の本を読むと公言するだけあって知識も豊富です。本当の小説好きなんでしょう」(同前)
2015年からはTBSテレビ番組審議会委員、2018年から文化審議会委員を務めており、女優という枠を超えた活躍を見せている。
「ついに腰を落ち着けたか」身内では密かに祝福ムード
一方の初沢氏はジャーナリスティックな作品を数多くこれまで世に送り出してきた、根強いファンが多い写真家だ。上智大学文学部在学中から写真部に所属し、卒業後は広尾の写真スタジオで働いた後、独立した。
2003年には戦争直前のイラクを訪れ、写真集「Baghdad2003」を出版。2013年には沖縄に1年住み、写真集「沖縄のことを教えてください」の撮影に精を出し、その後は北朝鮮に生きる市井の人々の表情を切り取った写真集「隣人、それから。―38度線の北」を発表した。
初沢氏は常に大手メディアが目を背けがちな被写体にカメラを向け続けてきたのだ。
作品は硬派だが人柄は気さく「新宿の飲み屋で…」
「初沢さんは社会性の強い作品を次々と打ち出していますが、ご本人は気難しい感じではなく、親しみやすい性格ですよ。新宿の飲み屋にはかなり頻繁に出没しますが、老若男女問わず気さくに声をかけ、その日知り合った人たちとも深夜遅くまで何軒もハシゴ酒する姿を見かけることもあります。
アーティスティックで自由奔放なオーラからか、女性からは本当によくモテるようで、『ついに腰を落ち着けたか』と身内では密かに祝福ムードです」(初沢さんの知人男性)
「結婚したと認めても気恥ずかしそうで…(笑)」
中江さんはプライベートでは、30歳に差し掛かる手前の2002年、仕事で出会ったテレビ制作会社の男性と結婚したものの、2010年に離婚している。
「年齢を重ね、人生の酸いも甘いも知ったアーティスト同士の結婚ですから、よっぽど分かり合える何かが、2人の間にあったのでしょう。初沢さん本人は、結婚したとは認めるものの気恥ずかしいのか、馴れ初めなど多くは語りたがらないですが……(笑)。
お互い仕事もありずっと一緒というわけにはいきませんが、時間のあるときには家でゆっくりと2人だけの水入らずの生活を楽しんでいるようです」(同前)
取材班が、中江の事務所と初沢氏に取材を申し込んだが、期日までに回答はなかった。
紆余曲折を経て出会った大人同士の結婚。2人が描く幸せな“結婚写真”を見守りたい。
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Source: 芸能野次馬ヤロウ