「人生、どこにきっかけがあるかわからないものですよね」
美味しい料理を通じて、見た人を楽しい気持ちにしてくれる平野レミさん。詩人でフランス文学者の父親のもとで育ち、高校中退後はシャンソンの道へ。タレント活動を経たのち、料理愛好家としてデビュー。
そんなレミさんだが、実は当初、料理を仕事にするつもりはまったくなかったという。いったい何が彼女の人生を変えてしまったのか?(全3回の1回目/#2、#3を読む)
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初めて作った料理は「トマトの煮込み」
――子どもの頃から、料理をするのは好きでしたか。
平野レミさん(以下、レミ) 好きでした! 泥だんごや葉っぱで、おままごとをよくやっていたんです。でも、大人は本当に食べられるもの同士を組み合わせて、新しい料理をどんどん作ることができるでしょう? それがすごく羨ましかったのを、よく覚えています。
――初めて作った「料理」は何だったか、覚えていますか?
レミ 小学校高学年くらいの時、家のトマト畑になっていたトマトをもいで、台所にあったうどんやチーズと一緒にゴトゴト煮込んでみたら、本当に美味しくて、感激したのを覚えています。食べもの同士が合体すると、こんなに美味しくなるんだ! いいな、嬉しいなって、その時に目覚めちゃったのね。私の料理の「原点」です。
――その頃は、まさか将来の仕事につながるとは。
レミ 思ってもいませんでした。大きなきっかけは、和田さん(※夫でイラストレーターの和田誠さん)の友達で、ジャズピアニストの八木正生さんです。八木さんはすごく食通だったんだけど、家に遊びに来た時、私が作る料理を、いつも「おいしいおいしい」って言ってくれたんです。そうしたら、八木さんがある時、『四季の味』(鎌倉書房)のリレーエッセイで、私を指名して。
私は文章も書いたことないし、絶対ヤダって逃げ回ったんだけど、八木さんがしつこかったから、仕方なく「1回だけ」という約束で書きました。そのときに紹介した料理が何だったかはもう忘れちゃったけど、どうせ私は素人だって開き直って、とにかくパッとできるものを紹介したんです。
当時、手軽で簡単にできる料理の紹介は珍しかったみたいで、そのエッセイが掲載されてから、どんどん料理の仕事が舞い込み始めました。『四季の味』にも、「家庭の味 素人ならではの思いつき」というコーナーができたほど。人生、どこにきっかけがあるかわからないものですよね。
――NHK『きょうの料理』への出演依頼(1985年6月)を聞いた時は、どう思いましたか?
レミ 最初のエッセイの時はごねたけど(笑)、その頃にはもう「どこでもいつもやっていることをやるだけだ」と思っていたから、緊張もしませんでした。
でも、その番組で「牛トマ」を作るために、トマトをまるごと手でぎゅっと潰したら、NHKに「汚い」という抗議がたくさん来て、大変だったそうなんです。
NHKからは「もし今度出ることがあったら、そういうことは絶対なさらないように」という注意も受けましたが、「私は私流のやり方でしかできないから、変えられません」って言い返してしまいました。
潮目が変わったのは、数週間後。新聞の投稿欄に、「気取りのないすばらしい手さばき、お見事でした」などと褒めてくれる投稿が載ったんです。そうしたら急に、NHKから「レミさん流でいいから、またやってほしい」ってオファーが来て(笑)。
――そのままでいい、自由にやっていいからと。
レミ あっさり手のひら返しよ(笑)! やったね、これでいいんだよね!って。結局みんな、「安く・手早く・簡単な」お料理が好きなんですよね。
「料理愛好家」を名乗る理由
――レミさんは、料理研究家ではなく、愛好家を名乗られていますね。
レミ 初めてCMに出ることになった時、肩書は「料理研究家」でいいですかって確認されたんです。それで和田さんに相談したら「レミは愛好家じゃない?」って言われて、すごくしっくりきたの。だって料理は、学者みたいに研究するものじゃなくて、「ラララ〜」って、歌いながら楽しくするものですから。
――料理を紹介するお仕事で、大切にしていることはありますか?
レミ あまり高い材料を使わずに、誰でもできて、美味しい料理。かつ、少し変わっていること。だって、普通なら、もうみんなやっているでしょう?
――レシピは、どのように思いつくのでしょうか。
レミ 普段から、どこかで何かを食べた時、「私だったらこうするな」ということをしょっちゅうメモに書いています。そうやって書き溜めたメモを見て、これをこうしようかな、ああしようかなってヒントにすることはありますね。
きっかけは赤塚不二夫の一言
――レミさんの料理といえば、「バカのアホ炒め」「ペテンダック」など、ネーミングのユニークさも特徴です。料理名に“遊び”を入れるようになったのは、いつからでしょうか?
レミ はじまりは「台満餃子(たいまんぎょうざ)」。和田さんの友人で漫画家の赤塚不二夫さんが、「餃子パーティーやろう!」と言ってひき肉をいっぱい持って来たんだけど、材料を台所に置いたら、さっさと別の部屋に行ってしまったんです。そして、そこでワイワイ飲んでるわけ。
私はたった一人取り残されて、何百という餃子を作らなくちゃいけない。でも、私だけ一個一個包むのに格闘するのはイヤだ!と思って、まず、餃子のタネは大皿いっぱいの大きさの、ハンバーグ状のものを一個ドーンと作りました。それを電子レンジでチンする間に皮を茹でて、チンしたお肉の上にまとめて乗せて、「はいできたわよ」って出したんです。
――面倒だなという気持ちが、既成概念の壁を壊し、手軽さの追求につながっています。
レミ 赤塚さんは、それを見て「レミちゃん怠慢だね! すごいね!」って面白がってくれました。すると今度は和田さんが、中国っぽく「“台満”餃子」という当て字はどうだろう、と提案してくれたんです。それからですね、名前でも楽しさを味わえるようなレシピが増えていったのは。
写真=山元茂樹/文藝春秋
「食べ物で遊んでないってば!」なぜ魚やブロッコリーを立たせるのか? 平野レミが“映える料理”を作り続ける理由 へ続く
(吉河 未布)
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Source: 芸能野次馬ヤロウ