「『らんま1/2』の現場は、私だけが落ちこぼれでした」声に特徴がなく、アフレコでは失敗ばかり…それでも井上喜久子が“人気声優”になれたワケ から続く
1988年のデビュー以来、数えきれないほどのキャラクターを演じてきた声優人生をふり返る初の自叙伝『井上喜久子17才です「おいおい!」』を発売した井上喜久子さん。10月20日には、17才と1万5000日を迎えた。
2015年からは、娘であるほの花さんもまた、歌手・声優として活動をスタート。親として、ほの花さんの活動をどう感じているのか? 「2世声優」について思うことを率直に聞いてみた。(全3回の2回目/#1、#3を読む)
◆◆◆
母の心配と娘のプレッシャー
──井上さんの長女のほの花さんも歌手・声優デビューしています。
井上 昔から歌うことが好きな子で、高校からは本人の希望で歌のレッスンやボイストレーニングを受けていました。ほっちゃん(ほの花さん)がちょうど17才の時に、私の姉が社長で、私も所属している事務所・アネモネの知り合いからゲームの『太鼓の達人』に向けて歌える人を探していると聞きまして。
井上 なんだかネタみたいですね(笑)。事務所に所属してる若い子がほっちゃんを推薦してくれたんですよ。歌手として採用されることになって、どこにも所属していなかったので、じゃあうちに入ってみようか……と決まったのがスタートです。
──ほの花さんが喜久子さんが声優をしていると理解したのはいつ頃でした?
井上 家では仕事の話はあまりしてなかったけど、保育園児の頃にはなんとなくもうわかっていたみたいで。園でしまじろうのお母さんを見て「これ私のママ」とお友達に自慢していたらしいです。それを聞いて「やめて~!」って(笑)。
──歌に興味があったのは、喜久子さんの影響?
井上 どうでしょうね……どちらかというと、ディズニー・チャンネルの影響が大きいです。特に、女の子が歌いながら成長するミュージカル要素のある作品を浴びるように見ていたので。
──そうなんですね。『太鼓の達人』で歌手デビュー後、『劇場版 しまじろうのわお! しまじろうとえほんのくに』のしろりん2役で声優としてもデビューしました。
井上 私がしまじろうのお母さんをやっているので、これが初共演で、初アニメの声優のお仕事ですね。本当にもう、娘が声優業をスタートしてから1年くらいは気が気じゃなくてお腹が痛かったです(笑)。
新人だともっと大変な思いをしながらようやくデビューする方もいるわけで、しかもみなさん私の娘だと知っているし、もしもご迷惑をおかけしたらと想像すると……。
『えほんのくに』のアフレコでも、私も自分の役があるのに娘がマイクの前に立つと倒れそうになってました(笑)。「ちゃんとしゃべって!」と祈るような気持ち。スタジオで新人さんとは座る席が離れていましたが、アイコンタクトで「大丈夫だよ」なんて目線を送っていました。
──家で喜久子さんがご指導することはある?
井上 最初の頃はつきっきりで教えることもありました。これまで強くあれこれ言ったことがなかったので、見たことのない私の一面がショックだったみたいです。「今までのママじゃない」って。
でも現場で良くないことが起きるより、家で厳しくされて、本番に万全で臨めるほうが絶対にいい。本人も、声優の娘である自分が、親と同じ仕事に挑むことにプレッシャーを感じていたようですね。だからそこはダブルですごく大変だったはず。
「私だったらあきらめていたかも」
──確かに、2世声優として見られるプレッシャーは大きそうです。
井上 すごくあったと思います。実力以上に期待の目で見られるし、デビューしたての頃は、私が演じていた役を若くしたような役もよくいただいていました。ただ娘自身は、私と違って元気っ娘なんです。
──喜久子さんはおっとり、穏やかな女性の役が多かったですよね。
井上 娘はありのままの野生児みたいなところもあったので、今はそういったこともなくなりましたが、最初は役に合わせるのに苦労したようですね。
──2世声優の方ならではの悩みというか。
井上 親子でご活躍の声優もたくさんいらっしゃって、みなさんそれぞれの悩みもあれば、喜びもあるでしょうね。今はSNSもあるから、比較されているのを目にすることもあるし。でも娘は昔の私のようにウジウジ性じゃなくて、根っから明るい子だから、大丈夫かなって。
昔の私が、今の娘の状況だったら「もう無理」なんてあきらめていたかも。娘を明るい子にしてくれてありがとう、神様!って感じです。
私の勝手な考えですけど、声優って今はアニメや洋画の吹き替え、ゲーム以外にも裾野が広がってるじゃないですか。家族としてその活躍を見ていると、楽しそう、やってみたい、と思えるのかもしれません。
──自叙伝の中で、ほの花さんが幼い頃、喜久子さんが忙しくて触れ合う時間が短い時期もあったと書いてありましたが、こうして母と同じ職業を目指すのは、そうした時期があってもすごくいい関係性を築けたからじゃないかと。
井上 そうだと嬉しいですね。日中に会えない分、夜は必ず寝かしつけをしていました。もう信じられないくらい、その日に起きたことをずーっとしゃべってるんですよ。眠すぎて私のまぶたがくっつくのを指で無理やりこじ開けられて……(笑)。
──物理!(笑)。
井上 それもかわいくって、お話を聞くのも楽しいし、教室内で起きた出来事もお友達のことも全部把握できるくらいしゃべってくれました。
──子育てとお仕事の両立はどうしていましたか?
井上 同居のおばあちゃんと、近所に住むおばあちゃんの2人が支えてくれたのが大きかったです。2人がいなければ今の自分はありません。娘の学童もいいところだったので、楽しく元気に過ごしてくれて、環境にも恵まれたのもありがたいことです。
家族といえば、声優業界って全体が大きな家族みたいな雰囲気もあるんです。娘が現場に行くと「ママによろしくって言われたよ」と教えてくれたり、「喜久子ちゃんの娘さんなんだね」と娘のことを気にかけてくださる方もいて。みなさんが遠い親戚のように見守ってくれているのが本当にあったかいなって。
若手に笑顔でリラックスして役に臨んでほしい
──声優ブームで、声優業がアイドル化した時期に感じた変化はありますか?
井上 常に流れに身を任せてきたので、気づいてなかったんですよ。敏感な方はちゃんと色々感じていたかもしれませんが、私は全然。今と違ってネットで反応をあれこれ調べるっていうのもなかったですから。
そういう意味で、若い声優さんは大変です。私達の方が人数は少なかったし、ネットもないし。今は人数が多くて、役をどう演じるかだけでなく、様々なリクエストにも応えます。SNSでの発信も得手・不得手がある中でどうするか考えないといけないですから。
──喜久子さんがパーソナリティを務めたラジオでも、特に『渚と早苗のおまえにレインボー』でほの花さんについてよくお話ししていました。最近は声優でも結婚や妊娠・出産について公にする方も多いですが、少し前だとそうではなかったように思います。
井上 「こんなことがあったんだよ」と、みなさんに楽しんでもらいたい気持ちだけでもう自由に、好きにしゃべっていました。『CLANNAD』が家族の話だったから話題にしやすかったのかも。
声優業も育児も私にはとても大切で、ある種、同じ位置にあったのかもしれません。でも、それを言わないのもまたプロ意識。どちらの選択もいいと思います。
──「自分が楽しむ」と「みんなにも楽しんでもらいたい」はずっと一貫しているスタンスですね。
井上 そうですね。とはいえ、私みたいなキャリアの人間は、これからの時代の声優のみなさんのために、業界に対していうべきことは言ったほうがいいんじゃないかと悩むこともあります。現場でも何か起きた時に前に立って調整をするとか。
ただ、自分がそういったことに向いてないんです。全然うまくなれないし、勇気もないし言葉も足りない。現場をよくしていくために必要なことが何かを考えたら、まずはスタジオで若い子に笑顔で、リラックスしてお芝居をしてもらうのが一番だと思うから、自分にやれることを精一杯やりたいです。
「17才は年齢じゃないの。生き様なの」声優・井上喜久子が「永遠の17才」を名乗り続けるステキな理由 へ続く
(川俣 綾加)
続きを読む
Source: 芸能野次馬ヤロウ