『学校へ行こう!』和田英智氏、V6に「めちゃくちゃ気持ちよく終わってほしい」 “一番足を向けて寝られない番組”ラストへの思い

思いを語る

ティーン視聴率30%の大反響
注目を集めるテレビ番組のディレクタープロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて“テレビ屋”と呼び、作り手の素顔を通して、番組の面白さを探っていく連載インタビューテレビ屋の声」。今回の“テレビ屋”は、『HITOSHI MATSUMOTO Presents ドキュメンタル』(Amazonプライム・ビデオ)、『痛快TV スカッとジャパン』(フジテレビ)などで演出を担当する和田英智氏だ。

そんな同氏が「自分の制作人生の中で一番足を向けて寝られない」という番組が『学校へ行こう!』(TBS)。V6の解散に伴って26日(19:00~)に『学校へ行こう!2021』として最後の放送を迎えるが、どんな心境で臨んでいるのか。“一緒に成長した”というV6への思いも含め、話を聞いた――。

○■カミセン新番組or『虎ノ門』の選択

――当連載に前回登場した放送作家の竹村武司さんが、和田さんについて「芸人さんからもジャニーズの人たちからも信頼されている、なんでも面白くしちゃう変態です。トーク力がエゲつなくて、テレビマンじゃなかったら、天才的な詐欺師になってたと思います。あと和田さんのロケは天下一品で、『BAZOOKA!!!』の「坂田の乳吸い」は傑作なので、ぜひみなさんにも見てほしいです」とおっしゃっていました。

これは小池栄子さんの旦那さんの坂田亘さんが、「日本一おっぱいを楽しめている男が世界の動物の乳を吸いに行く」っていうロケで、僕と坂田さんの珍道中になってるんですけど、たしかに面白いです。でも、これをやるには奥さんの許可をもらわなきゃいけないとなって、ドキドキしながら高い中華料理屋さんで小池さんに「今度、坂田さんの企画を撮らせていただきたいと思ってます。中身は、“日本一おっぱいをお持ちの奥さんを楽しんでる坂田亘が、格闘家として復帰していく中で、その儀式として自然に立ち返るために、世界の動物のおっぱいを吸いに行く”というもので…」って言ったら、小池さんがケタケタ笑って「あーもう好きにしてください。亘くんは面白い人なんですけど、格闘家でそういう面がなかなか出せないから、バラエティディレクターさんに面白く料理してもらえるんだったら、私のおっぱいなんてフリに使ってください」って言ってくれてたんですよ。もうカッコいい!と思って。当時すでに女優として大活躍されてて、バラエティにもなかなか出てくれないくらいだったのにそれを言ってくれたので、本当に小池栄子さんのファンになりましたね。

――この業界にはどのような経緯で入ったのでしょうか?

大学入るのに一浪して、留年までしてたから、一緒に遊んでる仲間が先にどんどん就職していって友達がいなくなるんですよ。大学の4年間って遊ぶにはこれ以上長いなとも思って、テレビ業界に興味があったんですけど、局員なんて中退じゃ受けられないじゃないですか。それで『フロム・エー』とか見るとAD募集が載ってたので、電話して派遣系の制作会社に入ったんです。バラエティをやりたかったんですけど、フジテレビの(島田)紳助さんとかがやってた“警察24時”の特番で、交番の警官と酔っぱらいのやり取りをひたすらコメント起こしするみたいな仕事とか、情報番組のADとかをやって1年くらい過ごしました。

――そこからどうやってバラエティに行くんですか?

中学からの同級生が、テレ朝系の編集所に就職してたんですよ。そいつはもう2年目とか3年目とかになっていて、『炎チャレ(ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー これができたら100万円!!)』とか『パパパパパフィー』とかバラエティバリバリ有名なディレクターと一緒に仕事してたんですね。そいつに、「お前ってバラエティディレクター目指すんじゃなかったっけ?」って言われて現状を話したら、「スウィッシュ・ジャパンの人と知り合いだから、スウィッシュならバラエティの仕事に近づけるかもよ」って教えてもらったんです。スウィッシュって技術の会社として有名だから制作やってるって知らなかったんですけど、僕『めちゃイケ』(フジテレビ)が大好きで、ロケやってるって聞くとわざわざ見に行って、片岡飛鳥さん(総監督)をストーカーみたいに追いかけてたくらいなんで(笑)、『めちゃイケ』をやってるスウィッシュだったらそういう人たちと近い場所に行けると思って、「この作戦だ!」ってすぐ電話して面接したら、採ってくれたんですよ。

それでテレ朝の深夜で、TIMさんとジョーダンズさんがやってた『ヒメゴト』っていうどエロ番組にADで配属されたんですけど、そこに『炎チャレ』で演出やってる人が総合演出やディレクターでいて、「こういうこと!こういうこと!」ってもうワクワクするんですよ。で、その時の番組デスクが『炎チャレ』の近くで、そこにいるフリーディレクターとかから「ちょっとタバコ買ってきて」って言われて、使いっぱしりとして顔を覚えてもらえるようになるんです。

――まさに作戦通りですね。

そんな中で『ヒメゴト』が終わるんですけど、僕、当時はスタジオのフロアの回しが上手だって褒められてて、それを知ってなのか分からないんですけど、板橋(順二)さんに呼ばれて、「『虎ノ門』って新番組やらないか?」って誘ってもらったんです。金曜の夜中に3時間の生放送だったんですけど、僕『オールナイトフジ』(フジテレビ)が好きで、自分がやりたい番組でディレクターができるかもしれないって思ってたら、『炎チャレ』をやってた藤田(賢城)さんが『学校へ行こう!』(TBS)もやってて、「新しくカミセンで番組をやるから来ないか?」って言われちゃったんですよ。『オールナイトフジ』っぽい夜中に芸人さんとワチャワチャ好きなことやれる生番組と、当時(世帯視聴率)20%とってるゴールデンど真ん中の人気番組からの派生番組のどちらかを選ばなければならなくなってしまって。

――これはなかなかの2択ですね。

そうなんですよ。で、藤田さんってルックスもめちゃくちゃカッコよくて女にモテて、当時『炎チャレ』以外にも『内P(内村プロデュース)』(テレビ朝日)とかもやってるイケイケで、日本で一番のディレクターだと思ってたので、そっちを選んだんです。

それで始まったのが『ミミセン!』でした。最初は奇数回が藤田さん、偶数回が坂井(美継)さんという方が担当する体制だったんですけど、#2で6分の短いVTRを作らなきゃいけないとなったときがあって、藤田さんに「お前、この番組でディレクターやったほうがいいんだから、作ってみるか?」って言ってもらえて、自分なりに台本もナレーションも書いて会議に出してみたんですよ。当時の会議にいた放送作家さんが、おちまさとさん、都築浩さん、中野俊成さんというトップの3人だったんですけど、藤田さんが遅れて来るというので、僕が書いた台本を見ながら待ってたんですね。それで藤田さんが来たら、3人が「この台本いいね」って言ってくれて、僕が「自分が担当することになって書いてみました」って言ったら、「このままでいいじゃん」ってなったんですよ。

――おお~!

そしたら藤田さんも安心して、#3の放送からディレクターにしてくれたんです。だから、結局『ミミセン!』で藤田さんは#1しかディレクターやってないんですよ。

――それってバラエティ番組に就いてどれくらいですか?

ヒメゴト』が半年くらいで終わって、そこから『ミミセン!』に移ってすぐでしたから1年経ってないですね。そこから、『学校へ行こう!』という流れになるんですけど、当時の『学校へ行こう!』は、立ち上げメンバー以外は『学校へ行こう!』でADをやった人しかディレクターにしない、外からは採らないっていう方針があったんですよ。でも、『ミミセン!』のプロデューサーの藤岡(繁樹)さんと藤田さんが僕を『学校へ行こう!』でやらせたいと考えてくれて。当時は、田代秀樹さんがプロデューサーで、江藤俊久さんが総合演出だったんですけど、田代さんは江藤さんを信頼してたので、江藤さんに気に入られれば田代さんに「外からだけど採りませんか?」ってプレゼンができると。なので、江藤さんの別の特番でやらせて、そこでハマれば『学校へ行こう!』に入れられるかもしれない、と藤岡さんと藤田さんが画策してくれたんです。

――また新たな作戦が。

ユースケ・サンタマリアさんとキャイ~ンさんの特番(『キャイ~ン&ユースケ炎の恋愛バトル』)だったんですけど、それをやることになって。またその会議の江藤さんって、『学校へ行こう!』で毎週20%とってるからめちゃくちゃイケイケで、台本とか構成もディレクターや作家が口を挟める空気じゃなかったんですよ。江藤さんが画作りからナレーションから何もかも決めて、話すことをADがメモっていくんですけど、僕の担当ネタを江藤さんが「こういうふうにしてくれ」って言ったときに、僕は「江藤さんすいません、このオチにしたいんですよね。そしたらここのフリは違くないですか?」って答えたんです。そしたら江藤さん、4~5秒黙った後に「お前、できるね」って褒めてくれたんですよ。それでハマって、『学校へ行こう!』に入ることになるんです。
○■名物企画「B-RAPハイスクール」誕生秘話

――和田さんは『学校へ行こう!』で「B-RAPハイスクール」(※1)を担当されていたんですよね。

(※1)…ラッパーを発掘するコーナー。「軟式globe」などの名物キャラクターが生まれた。

学校へ行こう!』って「未成年の主張」とかいろんなコーナーがあって、だいたいは複数のディレクターが持ち回るんですけど、「B-RAP」は頭から最後まで僕しかやってないんです。だから、胸張って「僕のコーナーです」って言える感じです。

――どういうきっかけで生まれたコーナーなのですか?

学校へ行こう!』のディレクターになったものの、急にゴールデンの看板コーナーは任せられないので、最初は藤田さんがやってる森田剛くんが「ちびあゆ」と曲を出すプロジェクトとかでサブディレクターという感じでやってたんですよ。でも、どこかで自分のコーナーみたいなのをやらないといけないと思って、学生時代からヒップホップとか大好きだったので、ラップバトルみたいな企画書を書いたんです。通常、ディレクターが“宿題”を提出することはないんですけど、ちゃんと前向きな姿勢を見せておかなきゃと思って。でも、当時の会議にはおちさん、都築さん、樋口卓治さん、村上卓史さん、すずきBさんという有名な作家さんばかりで、僕の出した企画は会議資料の一番下に入れられるんですよね。

そんな中で、おちさんが急に「そろそろラップに手を出してみるのもありじゃない?」って偶然言ったんです。そしたら、江藤さんは真面目な人だから、僕が企画を出しているのを先に見てて、「そう言えば和田も今日ラップの企画出したよね?」って言ってくれて、「作家さんとディレクタータイミングが合ったんだから、和田もうちょっと考えてみてよ」ってなって。それで、樋口さんが担当作家になって、あーでもないこーでもないと言いながら「B-RAP」が生まれて、ヒットしてくれたんですよ。

――1回目のOAから手応えはあったのですか?

手応えが出てきたのは2回目か3回目くらいからですね。最初は普通に撮ってスタジオもウケたんですが、会議で「PVみたいに固定カメラっぽく撮ったほうが面白そうだな」という話になって、定点カメラを使うようになってから人気がドーンと行きました。だから、2回目からセンターに定点カメラがあって、その前に人がやってくるみたいな流れになったんです。比較的すぐに自分のコーナーが持てて、それがヒットしたので、早めに『学校へ行こう!』でデカい面できるようになりました(笑)

――それは自信になりますよね。

当時、ティーンで30%視聴率とってたので、すごいことになってたんですよ。編集明けに、朝電車で寝て帰りたいから、東京駅まで行ってそこから中央線に乗ってたんですけど、その時間に通学する女子高生が僕の前に来て、昨日の「B-RAP」の話をしてるっていうのが最高の子守唄でしたね(笑)

――そのヒットで、また仕事が広がっていくんですね。

僕、ディレクターが黙ってる会議でもベラベラしゃべるし、大御所作家さんにも日和らず雑談するタイプだったので、皆さんにかわいがっていただいて、「B-RAP」やりながら、CP(チーフプロデューサー)の合田(隆信)さんに『(爆笑問題の)バク天!』やるときに呼んでもらって、おちさんには『グータン』(カンテレ)に呼んでもらって、急に金持ちになりました(笑)

●『イッテQ!』総合演出の衝撃的な決断
――スウィッシュさんにはいつまで在籍していたのですか?

あの会社って年俸制で役員と給料を交渉するんですけど、「B-RAP」が人気になって他の番組からも声がかかりだしていたから、「全社員の中で上げ幅を一番にしたから」って評価してくれたんですよ。でも僕は「ちょっと待って、これは少なすぎます」って言ったんです。「ディレクターってAD時代の不遇が報われるためにはお金しかないじゃないですか」なんて生意気なこと言って、「いくらなら納得するんだ?」と聞かれて希望の額を出したら、役員がみんな「だよな~」って言ってくれて。それで、「会社としてはここまでしか出せないから、お前はフリーになって外で活躍したほうがいい。それでいろんなところで仕事したら、うちの会社を使ってくれ」って言ってくれたんですよ。

――粋な会社ですねー!

めちゃくちゃいい会社なんですよ! 「うちが絡んでる仕事やるんじゃねーぞ」とか変な圧力もかけないし(笑)。だから、よほど局や制作会社の行政がない限り、技術さんを選べるときは一度もスウィッシュから浮気したことないです。実際、技術力も高いですしね。

――それで給料も一気に上がるわけですね。

20万代後半の手取りが、次の月に10倍になるイメージです。今までお財布ギリギリで生活してたのに、何買っていいか分からないから、とりあえず気に入ったスニーカーがあったら色違いで2足買ってみたりとかしてました(笑)

――そこから、どんな番組を担当されていったんですか?

TBSは江藤さんの仕事で紳助さんやナイナイさんの番組をやって、日テレで『カートゥンKAT-TUN』『恋愛部活』『24時間テレビ』の深夜とかを上利(竜太)さんとやったりして、『(世界の果てまで)イッテQ!』にゴールデンで立ち上げるときに入ったんですけど、(企画・演出の)古立(善之)くんが衝撃的だったんですよ。

――衝撃的というのは気になります。

あの枠ってそれまで日テレでも苦戦してたんですけど、『イッテQ』になった結構早めに結果が出てきたんですよ。それで盛り上がって、各局どの会議に行っても『イッテQ』の話になるくらい話題になってたんですけど、いい「Q」がなくなってきたんです。あの番組はもともと、「砂漠の熱で目玉焼きは焼けるの?」とか「溶岩で焼いたステーキはどんな味?」とか素朴な疑問をロケに行って解決していくスタイルだったんですけど、そのネタ探しで苦しみだしてきた。でも数字だけはバンバン上がっていって日本テレビを代表する人気番組になっていた矢先に、古立くんが週明けの会議で、「ちょっと週末に風呂入りながら考えてきたんですけど、えっと、Qやめます」って言ったんです。

視聴率とり放題で日テレお祭り騒ぎで、日本中のお笑い番組のディレクターが指をくわえてるときに、大前提のルールを変えるって言い出したんですよ。普通なら、“どうやったらいいQを探せるか”というところに脳みそがいくはずだし、しかもそーたにさん、桜井慎一さん、鮫肌文殊さんといったそうそうたる作家さんや、手練の年上のディレクターもいっぱいいるのに、誰にも相談してないんです。「Qやめます。ベッキーがとてつもなくきれいな朝焼けを見に行くみたいな感じの番組にします」って、1人で決断したんですよ。「マジで気狂ってるな!」って思いましたもん(笑)。これが本当に衝撃的すぎて、本人やあの会議に出てた人に「みんな覚えてる?」って聞いてみたいですよ。でも、あれができるのが大将なんですよね。「右向け右!」ってちゃんと言える大将。正しかろうが間違っていようが、下が困るのは決めてくれない人なんで。

――ものすごい決断力ですね。

そういうゴールデンのど真ん中の番組もやった一方で、BSスカパー!で『BAZOOKA!!!』っていう番組をやって、僕が下ネタを扱う企画をやったらめちゃくちゃ怒られて、当時フジテレビから出向してた小松(純也)さんが各所に死ぬほど謝るはめになるっていうこともありました(笑)。でも面白い企画で、その番組を見たスカパー!の編成さんにお声がけいただいて、徳井(義実)さんと『チャックおろさせて~や』って番組をやったりしました。

○■V6はジャニーズで「ダントツにロケがうまい」

――『学校へ行こう!』のレギュラー放送が終わって、V6さんとのお仕事は続いていったのですか?

TBSでV6の深夜番組が続いていくんですけど、僕は番組としては『クマグス』までですね。最近だと2~3年前くらいから、シングルの特典映像をやることになったんです。メンバーが「和田くんに撮ってもらえば?」って言ってくれたみたいで、エイベックス経由で連絡が来て、この何年間かずっと撮ってますね。

――『学校へ行こう!』を含めて、V6さんとの印象に残るエピソードをぜひ伺いたいです。

森田剛と三宅健の「剛健コンビ」には死ぬほどイジられましたね。特典映像のオープニングキックボードに乗ってそのまま僕に突っ込んでくるとか、腹の肉をつかんできたりとか(笑)。V6って六者六様で、本当に魅力的な6人なんですけど、僕にとって『学校へ行こう!』においてのキーマンは森田剛だった気がします。タレントさんって、僕らが用意した演出に乗っかって笑ってくれるじゃないですか。でも、森田剛というのは、面白くなかったら現場でくすりとも笑わないんです。でも逆に面白かったときにはすごい笑ってくれる。ファンもそれが分かってるから、森田剛がケタケタケタって笑ってるときのVTRは、本当に面白いことが行われてるんだというのが伝わって、やっぱりウケてましたね。だから彼のロケは比較的リスクがあって、苦手というディレクターもいたかもしれませんが、僕は森田剛でロケを撮りたかったんです。

――勝負のしがいがあるんですね。

今はだいぶなくなりましたが、当時の『学校へ行こう!』の頃って、スタジオにいるディレクターは、自分以外が担当したVTRを笑ってくれないんですよ。それは敵ですから(笑)。特に僕なんて、外様で途中から入ってきたから、「お前のVTRなんかで笑ってやるか」みたいな空気が多少あったんですよね。その中で笑いを取ったら勝ちというか。しかもV6にとっては、自分の出てるロケがウケてるかどうかで、ディレクターを信用する指針になる。やっぱりすごいウケたなあってなると、次のロケで僕の演出を信じてくれるということがあるんですよ。

V6って、坂本(昌行)さんと長野(博)さん以外、イノッチ(井ノ原快彦)さんから下が僕より年下なんですけど、めちゃくちゃいろんなことを教えてもらいましたね。僕、ジャニーズの中でもV6がダントツでロケがうまいと思うんですよ。芸人さんとかも一緒にロケをやると、「V6ってロケうまいですね」ってみんな言うんです。

――それはやはり『学校へ行こう!』で鍛えられたんですかね?

そうだと思います。毎週あんなにロケに出てたグループってないと思うんですよ。当時は2人1組で毎週のようにロケに出て、変な話めちゃくちゃ楽に面白くなるものもあれば、難しいときもあれば、感動もある。「未成年の主張」みたいに爽やかなものがあれば、「B-RAP」みたいに変なラップをケタケタ笑うのもあるし、学生の夢を一緒に追いかけるときもある。本当に様々な種類のロケを毎週やってるんで、圧倒的にV6がうまいですよね。

――しかも、相手が一般の若い方というのも、なかなか大変なロケスタイルですよね。

そういうときに、うまくいかないときが何度もあって、「こういう時はこうやったほうがいいだろうな」とか、吸収していったんですよね。すごく教えてもらったし、すごく感謝してるし、僕にとってV6はすごい存在ですね。

―― 一緒に成長していったという感覚ですか?

それもあると思います。ADからディレクターになったのもカミセン3人のロケだったので、V6には絶対足を向けて寝られないです。

●最後の「6人旅」に古参スタッフたちの涙腺が…

――ここ数年特番で放送されてきた『V6の愛なんだ』には、和田さんはスケジュールなどの都合で参加できなかったんですよね。今回は『学校へ行こう!』というタイトルになって久々に参加されています。

レギュラー当時の放送から名物企画だった「6人旅」を担当してるんですけど、これを縦軸としてやらせてもらうことになったので、放送に向けてワクワクしてます。今回の「6人旅」は、すべての演出をV6が知らないというのを貫いていて、行き先だけが書いてある旅のしおりがそのまま台本になっている感じなんです。那須塩原と日光の旅なんですけど、行く先々でただ旅を楽しんでもらう中で、過去の出演者と出会ったりみたいなサプライズも用意したり、他にもV6が驚く演出を数々仕掛けてまして。ちょうどコンサート真っ最中でもあるし、1日だけの旅だったんですけど、その中でかなり濃密な体験をしてくれたと思います。

――和田さんとしては、どんな気持ちでロケに参加されていたのですか?

僕らの演出にV6がリアクションしているというところも素敵なんですけど、本当にただ6人がキャッキャキャッキャ笑いながら車で移動してる姿を見るだけで、僕ら昔からやってるスタッフは、涙腺にガンガンするような感じで、勝手にめちゃくちゃエモくなってきちゃったんですよね。この6人がそろってロケに行くというのは、これが最後になるのかな…とか思って。最初はあんまりそういうのを考えてなくて、ケタケタ笑いながらロケしてたんですけど、終盤のラスト1時間くらいになったときに、ふっと思っちゃったんですよね。こんないいロケを任せてもらって、本当にTBSには感謝ですし、ロケ中に貴重な尊い仕事をしてるなという感覚になりました。

――V6さんの解散ということで最後の『学校へ行こう!』は生放送ですが、心境はいかがですか?

これは実際に会議でも言ってるんですけど、僕は視聴率はどうでもいいと思ってるんです。もちろんディレクターは視聴率に絶対向き合わなきゃいけないんですけど、今回は局員の方に任せようと思っていて(笑)。ウエットな言い方はメンバーも嫌がるので嫌なんですけど、僕の今の心境は、自分の制作人生の中で一番足を向けて寝られない『学校へ行こう!』の名前で復活するので、とにかく最高なものにしたい。V6もスターの人たちなので、全部が100%ノッてる仕事ばかりじゃないと思うんですけど、この『学校へ行こう!』に関してだけは、めちゃくちゃ気持ちよく終わってほしいんですよ。

僕、仕事を受けるのに4つルールがあって、1つ目はめちゃくちゃ自分がやりたい企画。2つ目は演者が死ぬほど得して楽しい企画。3つ目が演者のことを好きな人が死ぬほど喜ぶ企画。4つ目が死ぬほど金が儲かる仕事(笑)。この4つの条件のうち1つも当てはまらなかったら受けまいと思ってるんですけど、今回は3つも入ってるんです。だから、ディレクターとしてこれをやりたいんだっていうのを6人にぶつけて、6人が絶対得をする、6人にとってめちゃくちゃいい時間になって、それを見る6人を好きな人たちが死ぬほど喜ぶという番組を悔いなくやりたいなと思いますね。あとはTBSが死ぬほどお金をくれたら最高なんですけど(笑)

――よくバラエティ最終回は寂しく終わっていくと言われますが、最近あった『マツコ&有吉 怒り新党』(テレビ朝日)のように、こうやって盛大にフィナーレを迎えられるというのは喜びもありますよね。

そうですね。相当な打ち上げ花火になると思います。今回の「6人旅」は、今までのものとはだいぶ編集方針も趣向も違うんですけど、今撮れる6人が撮れてるんじゃないかなと思います。

――V6さん以外でも、KAT-TUNさんやSexy Zoneさんの番組をやったり、Snow Manさんも特典映像を担当して、ジャニーズさんとのお仕事が多いですよね。

そうなんです。でも、僕『BAZOOKA!!!』とか、徳井さんと『チャックおろさせて~や』とか、FANZAでも『カチコチTV』とか、えげつない下ネタの番組をやってるので、ジャニーズ事務所の運営にそれがバレてないのかな?とか思って(笑)

――そこを超えての信頼があるのではないでしょうか。

どこのグループの誰とは言いませんが、たまにエロ番組を「見たよ―」とか言ってくれる人がいるから、ヒヤヒヤしてます(笑)
○■民放にはできない配信番組の魅力

――これまで多くのテレビ番組を制作してきた一方で、最近は『ドキュメンタル』をはじめ、配信の番組をたくさん手がけられていますよね。

最近は民放には申し訳ないんですが、企画のプレゼンを含めて仕事の比率は民放2に対して、AmazonとかNetflixの配信が8くらいですね。ある時、Amazonから企画を考える上での条件を2つ言われて。1つは『ドキュメンタル』みたいな加入者が一気に入ってくる大型企画で、話題になるというパターン。もう1つは、『有田と週刊プロレスと』のような、全員が知ってる内容じゃないけど、ファンが見たらきっちり面白くて、ちゃんと反応してくれるパターン。現にそういう狭いところに投げる番組が増えていて、つまり視聴率的なことで考えてないんです。民放はどうしても「それじゃ数字取れないじゃん」というのがベースにあるから、それで考えなくていいんだという驚きがありましたね。

でもそこから、コンテンツのトレンドで、ちょっと“いたちごっこ”現象が起きてて…。つまり、YouTubeもこういう狭いところを狙ったコンテンツが増えてきたので、AmazonとかNetflixは、今度はYouTuberがやらないようなものを求めていく。それに応じて、僕らもまた違うものを提案していくみたいな、コンテンツ作りの波にサーフィンする楽しさがありますね。

あと、『ドキュメンタル』で言うと、マーケティングの戦術としては先に出場者の情報を出して期待値をあおったほうが視聴数は上がるというパターンが大セオリーなんですけど、一方で、普通のコンテンツシーズン1が一番見られて、以降は下がっていくっていうセオリーがあって。でも、『ドキュメンタル』はシーズン1で話題になって、2、3と上がっていって、世界的にこのモデルケースがなかったそうなんです。そこで、違うマーケティングをしようとなって、視聴数が下がってもいいから、あえて出場者の情報を隠してみたいと言ってきたんですね。そしたら、そのシーズンの再生数がまた上がったんです。こんな実験まがいのこと、スポンサー料金をもらって制作費にしている民放にはできないですよね。だからすごく面白いし、こっちの仕事が多めになっちゃってます。

――一緒に『ドキュメンタル』をやられている小松さんは「テレビ局地上波の番組を作るために人を囲い込んでおくのは合理的ではない」とおっしゃってました。

実際、僕はTBSの藤井(健太郎、『水曜日のダウンタウン』など演出)くんと、フジの木月(洋介、『痛快TV スカッとジャパン』など演出)くんと、日置(祐貴、『人志松本の酒のツマミになる話』『まっちゃんねる』など演出)くんの3人には「早く局辞めなよ」っていつも言ってます (笑)ゴールデンの制作費なんて、もう昔の半分以下ですよ。そしたら、「お金じゃなくてアイデアで頑張る」と言われるかもしれないけど、やっぱりお金がない分アイデアとか可能性も減らされる中で企画を考えなきゃいけないから、どうしてもコンテンツが縮こまってしまう。かたや、1億円使える番組があるのに、頑張って2000万円で作るとなると、どんどん乖離していくじゃないですか。だったら、彼らのような能力があって面白いものを作れる人たちは、局を辞めてこっちの世界に行こうよって思うんですよね。彼らが来たら僕のライバルが増えちゃうから、本音は自分のことで必死ですけど(笑)

●小籔千豊のすべらない話「オーベルジーヌ」の目撃者

――和田さんと言えば、小籔千豊さんが『すべらない話』(フジテレビ)で披露された「オーベルジーヌ」の話(※2)をぜひ聞いておきたいなと思っていまして。

(※2)…テレビ局の楽屋に用意される弁当で、欧風カレーの「オーベルジーヌ」の頻度を増やしてほしいと頼む小籔と、何度聞いてもその依頼に応えられないAP(アシスタントプロデューサー)との間で繰り広げられた長期間にわたる攻防。

あれは『BAZOOKA!!!』で僕がよく小籔さんの楽屋にいて、そのときに起きた事件なんですけど、僕はずっと小籔さんに「『すべらない話』でオーベルジーヌの話してくださいよ」って何回か言ってたんですよ。でも、APの子をこき下ろしちゃうかもしれない話なので、「ネタに困ったときのために取っときますわ」って言ってたんですね。それで数年後に「和田さん、オーベルジーヌの話、今回しようと思います」って連絡が来て、APの子に連絡したら「全然いいですよ」と言ってくれたんで、小籔さんと夜中に長電話して「あの時こうでしたよね」「ここは何週か開きましたよね」って状況を整理したんです。小籔さんは普通の芸人さん以上に話を盛るのが嫌いなんで、事実関係を確認するために。

その後、(フジテレビの)湾岸スタジオ歩いてたら、『すべらない話』の収録に参加した芸人さんや吉本のマネージャーさんの会う人会う人が「和田さん、あれ面白かったですね」って言ってきて。たしかにあの現場に僕もいたんですけど、そこまで自分が話に出てると思わなかったんですよ。小籔さんとAPさんの話だと思ってたのが、OA見たら完全に3人の話になってて(笑)。しかも全部実話なのに、“すべらない話”として仕上がる感じに、芸人さんってやっぱりすごいなと思いましたね。

――実際の現場を知って、“すべらない話”としての仕上がりも見られるというのは、貴重な体験ですよね。

たしかに異常な体験だったんですけど、僕の描写とか怒り方とかも含めて、やっぱり話芸のすごさを感じました。一言一句全部本当で、唯一違うことと言ったら、僕が関西弁じゃないことだけですよ(笑)
○■レジェンド2人からの金言「誰もやったことのないものを」

――今後こういう番組やコンテンツを作っていきたいというものはありますか?

有吉(弘行)さんが『なるほど!ザ・ワールド』(フジテレビ)をやるというときに僕は演出というポジションで参加させてもらったんですけど、その1回目の収録に番組創始者の王東順さんが来ることになったんですね。「別に口出しされなければいいや」と思ってたんですけど、収録中サブ(副調整室)に座って、紙にずっとメモってるんですよ。「いやぁキツいなあ。20年前のテレビとは違うんだから、そんなダメ出ししなくても…」と思って、収録が終わったら王さんのメモが4枚ほど来たんです。でも、それを見たら本当に崩れ落ちるくらいダメ出しが素晴らしかったんです。あのお歳で、俺たちの弱点がめちゃくちゃ分かってるんですよ。

――どんなことが書いてあったのですか?

これが一番忘れられないんですけど、「有吉くんとのMC打ち(合わせ)が甘い!」って1行書いてあったんです。『なるほど!ザ・ワールド』って、正解でなくても惜しい答えを愛川欽也さん(初代MC)の采配で正解にしちゃうんですよ。でもその収録では、有吉さんが「これ惜しいけどどうなの?」ってときに、フロアにいるスタッフのことを見て、こっちから「OKでいいです」と伝えて正解を出したシーンがあったんです。これが「甘い!」とはどういうことかと言うと、正解か不正解かを決めていいのは有吉さんだけなんだと。本番が始まってしまったら、MCはスタッフの言うことなんて聞かなくていい。番組のマスターオブセレモニーというのは、そういう責任を持って仕事を受けてるんだから、そうやって番組を作らなきゃいけないっていうことが書いてあったんです。これを見て、「マジでこのコピーくれ」って言って、家宝になるくらい良いこと言ってもらったなあと思って、それからは自分の番組に生かしています。

あまりにも感動したから、王さんとご飯食べに行かせてもらって、「これ金言だなあ」って思いながらいろいろお話を聞いたんですね。そしたら、もうレジェンドの人が「俺が27時間テレビの総合演出を任されたら27時間生ドラマやりたい」ってやる気満々なんですよ。それで、「どんな気持ちで今まで番組を作ってきたんですか?」って聞いたら、「とにかく他局でも局内でも、他のディレクターや今までのテレビマンが絶対にやってないことだけを探してきた」と言うんです。

で、その1週間後くらいに『全裸監督』でおなじみの村西とおる監督と仕事することがあって、『BAZOOKA!!!』の企画のプレゼンとかしてたんですけど、そのとき雑談で「君も映像の監督という仕事をしてるんだったら、絶対に他人が撮ったことのないものだけを撮らなきゃダメだよ。それだけを守って作品を作っていきなさい」って言われたんです。王さんも村西さんも70歳くらいですよ! そのアラセブン2人から1週間違いで、まっすぐな目で同じことを言われたんですよ。僕はその時点で40歳超えてたんですけど、すごく感じるものがあって。だから「作っていきたい番組」の質問ですが、やっぱり誰もやったことないものを作っていこうと強く思ってますね。

――ご自身が影響を受けた番組を挙げるとすると、何ですか?

もともとテレビは全然見ない子供で、深夜ラジオが好きで、『とんねるずのみなさんのおかげです』(フジテレビ)も、火曜日とんねるずさんの『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)を楽しむために見てたという逆の感じなんですよ。とんねるずさんって、「港っち」(=港浩一氏)とかスタッフの名前をめちゃくちゃ出してて、こういう人たちが支えて一緒に作ってるんだなって存在を知っていくんですね。

そして、『(天才・たけしの)元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)の「ダンス甲子園」が好きで、その公開収録が江ノ島であって見に行ったんです。そしたら、ダンスステージの途中でおじさんが出てきて、高田純次さんと兵藤ゆき姐と打ち合わせしてるんですよ。それで収録が終わったと思って帰ろうとしたら、またそのおじさんメガホン持って出てきて、僕らに「ダンサーがもう1回踊るので、さっきと同じように見てください」って言うんです。すると、同じ曲で違うダンスをしたり、失敗したところを撮り直したりして、そこで「あとではめ込んでいくんだ」って初めて編集というものを知るんです。今考えるとあのおじさんディレクターだったんですよ。そういう体験から、あの仕事やってみようかなあと高校生くらいのときにうっすら思い始めた感じですね。

――いろいろお話を聞かせていただき、ありがとうございました。最後に、気になっている“テレビ屋”をお伺いしたいのですが…

バラエティスタッフって、総合演出とかディレクターとかいるじゃないですか。僕はどっちもやることがあるんですけど、使う能力が全然違うんですよ。『水曜日のダウンタウン』でいうと、藤井健太郎という司令塔として全体を見る総合演出がいて、彼のやりたい世界の表現者として、現場を回す水口(健司)くんとか池田(哲也)くんというディレクターがいる。僕の入ってる『スカッとジャパン』の総合演出の木月くんは、僕をロケのことも編集のことも分かってるチーフ作家さんのような位置づけで使います。そういうところは、本当に使い方がうまいなと思いますね。こうやって番組の向き合いによって脳みその使い方が全然違うのが面白いんですよ。

そういう感じで、どんな指揮官にも離さず横に置いておきたいNo.2ディレクターがいるんですけど、その代表格が長沼昭悟さんです。有吉さんの番組とかをよくやってるんですけど、撮ってくる飯が死ぬほどうまそうなんですよ。総合バラエティでも何でもできる人なんですけど、ご飯を撮らせたら圧倒的に日本で一番ですね。

次回の“テレビ屋”は…

『有吉の夏休み冬休み』『カジサック』ディレクター・長沼昭悟氏
(中島優)

画像提供:マイナビニュース

(出典 news.nicovideo.jp)

続きを読む
Source: 芸能野次馬ヤロウ

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク