君の膵臓をたべたい病名となぜ通り魔なのか5chの考察がやばい

君の膵臓をたべたい病名となぜ通り魔 (3)

2020年9月4日(金)放送、日本テレビ系・金曜ロードSHOW!「君の膵臓をたべたい」
21時00分~23時14分

恋愛の筋書きをミステリ風味に辿る友情映画「君の膵臓をたべたい」が今夜放送。

本来なら恋愛になるはずの関係を、死というギミックにより恋愛未満の友情で美しく完結させている「君の膵臓をたべたい」は、「さくらを抱き締め返すことのできなかった僕」、「君の膵臓を食べたい」というメールに目を通すことなく命を散らしたさくら、二人の想いが通じ合い繋がることはついぞなかったものの、二人の互いに対する相互理解は完璧なものだった。

「君は勇敢だ」「君は強い」という互いに対する称賛からも分かるように、死という問題に面した二人の向き合い方は、応援、愛し愛されること、守り守られることを望むのではなく、二人は飽くまで個人としてこの課題に立ち向かう。

そして互いの取り組み方を見て、勇気や生きる力をもらう。
伏線の張り方、ミスリードの誘い方が秀逸。ラブコメアニメのような違和感も終わってみればその違和感こそが主題、ミステリーとなっている。

今回は、「君の膵臓をたべたい」のラストで物議となった、なぜ通り魔に殺される設定になっているのか、5chの伏線や考察についてまとめてみた。

■目次

「君の膵臓をたべたい」とは

「君の膵臓を食べたい」桜良の膵臓の病気

君の膵臓をたべたいネタバレ通り魔による犯行

「君の膵臓をたべたい」とは

君の膵臓をたべたい病名となぜ通り魔 (1)

住野よるのデビュー作「君の膵臓をたべたい」は、小説投稿サイト「小説家になろう」に投稿したところ、ライトノベル作家の井藤きくの目に留まり、双葉社に紹介され、出版に至った。

あらすじ

主人公である「僕」が病院で偶然拾った1冊の「共病文庫」というタイトルの文庫本。
それは「僕」のクラスメイトである山内桜良(やまうち さくら)が綴っていた秘密の日記帳であり、彼女の余命が膵臓の病気により、もう長くはないことが記されていた。

「僕」はその本の中身を興味本位で覗いたことにより、身内以外で唯一桜良の病気を知る人物となる。 「山内桜良の死ぬ前にやりたいこと」に付き合うことにより、「僕」、桜良という正反対の性格の2人が、互いに自分には欠けている部分にそれぞれ憧れを持ち、次第に心を通わせていきながら成長していく。そして「僕」は「人を認める人間に、人を愛する人間になること」を決意。

桜良は、恋人や友人を必要としない「僕」が、初めて関わり合いを持ちたい人に自分を選んでくれたことにより「初めて私自身として必要とされている、初めて私が、たった一人の私であると思えた」と感じていく。 しかし、余命を全うすることなく、4週間の入院治療から解放されたその日に桜良は通り魔に刺されて亡くなってしまう。「僕」は桜良の通夜や葬儀に出席せず、数日後に桜良の家を訪れる。

参照wiki

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「君の膵臓を食べたい」桜良の膵臓の病気

君の膵臓をたべたい病名となぜ通り魔 (4)

原作者の住野よる氏がツイッターで「架空の病気」と言っているが、実際に現実社会で医学的にしっくりくる病名は存在するのか、5chでは考察されている。

5chによる考察スレでは、原作本の18ページに「私が罹った膵臓の病気っていうのはちょっと前まで判明した時にはほとんどの人がすぐ死んじゃう病気の王様だった。今は症状もほとんど出なくできて…」と記載されているので、普通に考えれば、膵臓癌(5年生存率が約10%)が推測できる。ちなみに膵臓癌の10代発症は膵臓癌の0.1%以下と非常にまれ。

重要な点は、作品の年代設定が2000年代となっているので、原作本だけなら近未来の設定となる。近未来なら膵臓癌でも症状をかなり抑えて、桜良のように元気に振る舞うことができるようになっている可能性が非常に高い。現代の医学であれば、完治する可能性が高く、膵臓や糖尿病に悪い飲酒もケーキバイキングも自由にできるようになっている。

一方、映画では桜良が亡くなってから12年後を現在に設定しているため、2003年に発病したという設定。

映画と原作本では、桜良がインスリン、血糖測定器、(映画では鎮痛薬・胃薬なども)を使用していたことがわかり、2005年当時では飲酒やケーキバイキングをしたら糖尿病が悪化するだけでなく、お腹の痛みも悪化するはず。

重大な映画製作者の勘違いは、「膵臓の機能が廃絶すると死ぬ」と映画の中で語らせていること。

実は膵臓を全て手術で摘出しても、インスリンを注射して消化酵素をきちんと服用すれば生きて行ける。原作本の8ページにも「もし膵臓がないと、人はエネルギーを得られなくて死ぬ」と春樹が言っているが、「インスリンと消化酵素の投与がなければ」という条件付き。

そのような訳で、急性膵炎で膵臓の消化液がお腹の中にばらまかれれば、内臓が消化されてしまって急性で死に至ることはありえるが、慢性膵炎を含め、膵臓自体の慢性の病気で膵臓機能が廃絶しても人は死なない。


やはり、他の臓器にも悪影響を与える「癌」であると推測される。

しかし、最終的には作者が言っているのだから「架空の病気」なので、現実での病気・病名ではいないので、こういった矛盾が生じてしまっている。

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君の膵臓をたべたいネタバレ通り魔による犯行

映画「君の膵臓をたべたい」の桜良は病気ではなく、通り魔に〇されている。

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映画版「君の膵臓をたべたい」というタイトルの意味としては、桜良が〇される前に、お互いが相手をリスペクトとしていて「君の膵臓をたべたい」とメールと手紙で記してある。なので、タイトルとしての意味は成立しているのだが、なぜ設定である病気ではなく、通り魔に〇されるという展開にしたのか、気になるだろう。

作中、小栗旬のセリフで「病気で死ぬまでは生きられると思っていた」というセリフがある。

桜良の死を知って「僕」は「甘えていた。この期に及んで僕はまだ甘えていたんだ。残り少ない彼女の命だけは世界が甘やかしてくれると信じきっていた。残り時間の少ない彼女には明日があるものだと、彼女の命は残り少ないのだからそこまでは必ず生きられると当然のように思っていた。世界は差別をしないんだ」と言っている。

桜良が事前に遺書を書いていたのも、自分がいつ死ぬか分からないと思っていたからで、今の大切さに繋がる。

加えてその遺書の中で「もしかしたら私に何かを伝えたいと思ってた人もいるかもしれない。もしそうだったら私以外の人には、伝えたい事を全て伝えるようにしてください。じゃないと私みたいにいつの間にか死んじゃうかもしれないよ」と書いているのも、今の大切さを言ってる。


これは人間の命は儚く、いつ失われるかは誰もわからないという事を言いたいのだろう。

余命が1年あったとしても必ずその時まで生きれるとは限らない。人間いつ死ぬか分からない。通り魔に〇された理由としては、監督本人が言っていたが「人間いつ死ぬか分からないだから一日一日を大切にして欲しい」その願いが込められている。

それはみんな頭ではわかっていても、実際は自覚や覚悟はない事なので、「観てる人にわからせたかった、それを視聴者へのメッセージとした」という監督の思いが、こういった通り魔という突然な展開に込められている。

賛否はあるが、1つの物語としては、この終わり方で良かったのかもしれない。

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Source: 独女ちゃんねる

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